実行委員会主催・商店会後援で開催される、「西田辺まちバル」。
大阪市阿倍野区の地下鉄御堂筋線「西田辺駅」界隈でのイベントです。
周辺調査・探索4回目の今日は、そのルーツの地名を今に残すものを訪ねます。
(1)~(3)で採り上げて来た「猿山新田」の名を残す、唯一のもの、「猿山地蔵尊」です。
< 地蔵堂の奥に祀られる「猿山地蔵本尊」 >
本尊の手前、向かって右手にも、可愛いお地蔵さんが祀られています。
「地蔵堂」のある場所は、「西田辺町1丁目19番街区」。西田辺駅のすぐ近くです。
昨日の「奥田邸」は「20番街区」。
「21番街区」は、奥田邸の前の「旧猿山新田表通り」(筆者の仮称)と東の「あびこ筋」の間です。
20番街区の北に「19番街区」、21番街区の北に、「18番街区」と「17番街区」があります。
地蔵堂のある、「旧猿山新田表通り」と或いはその延長かと見られる道には、「あびこ筋」からは、17・18・19番街区の境界になる細い道路から入れます。
写真は、「旧猿山新田表通り」とその延長と見られる通りを、北から南方向を望んだもの。
右手が19番街の「シャープ㈱早春寮」で、塀の途切れた所が正面玄関。
その前の道路上に「T」表示があるように、あびこ筋からの道路(18・19番街区の境界)が通じています。
寮の向う側(南側)に庚申街道に通じる路地があり、奥田邸などのある20番街区との境界になります。
その位置の写真左手道路際に、地蔵堂があります。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月15日 要旨 ☆★
● 《 吉田川筋・深野川筋新田の地代金納入(1705) 》
大和川付け替え後の新田開発は、反(ha)当りの地代金を入札して決める落札制で請負者(開発者)が決められました。「中甚兵衛」は、深野池と新開池を結ぶ「深野川筋新田」(氷野村領より諸福村領まで)を、娘婿の「河内屋五郎平」は「吉田川筋新田」((稲葉村領より灰塚村領まで)を落札、宝永2年(1705年)のこの日、地代金を納入しました。後者の開発には、甚兵衛嫡子「中九兵衛」も加わって「川中新田」となりましたが、前者の開発とその後の経緯は不明です。当初の「中村新田」と思われます。