中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 いよいよ今週末に近づいた、大阪市阿倍野区の「西田辺まちバル」。

 会場となる、地下鉄御堂筋線「西田辺駅」界隈の調査と探索の再開、10日・11日に続く3回目です。

 この地に初めて人が住みついた、旧「猿山新田」の集落を訪れます。


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 場所は、都市計画道路「柴谷平野線」(南港通)の南側、地下に御堂筋線が走る「あびこ筋」の西側です。

 「西田辺駅前交差点」から南、2つ目の信号、あびこ筋を横切る初めての道までが、「西田辺1丁目」。

 「あびこ筋」と西側の「庚申(こうしん)街道」の間を南北に貫く1本の道が、旧村の表通りとみられます。


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 上の写真は、その通りの南の端から北方を望んだもの。左が「西田辺1丁目20番街区」です。

 ここから進むと左手に、「猿山新田」の開墾者である「奥田家」(1-20-9)の屋敷が、今に伝わっています。

 開墾は1663年ですが、120余年経った1786年の記録でも、村高を所持する「高持(たかもち)」は、この一軒だけです。他に、その小作人とみられる「無高」の16軒や、1寺などがあったようです。

 村高97石余の内、田方29石余・畑方41石余は、当初から幕末まで変りません。


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 「奥田家」の「長屋門」です。左奥に母屋の屋根が見えます。

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 母屋の改修工事でしょうか。業者が入ってます。右奥に大木が見えます。

 奥田家の屋敷地の裏側は、西側の「庚申街道」まで続いていますので、街道側に回ってみます。


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               < 庚申街道から見た奥田家の母屋の屋根(中央)


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 庚申街道沿いの駐車場に、枝葉がはみ出すように、大木がそびえ立っています。

 この高さ23.5m、幹回り3.9mの「奥田邸のクスノキ」は、「大阪市保存樹」に指定されています。

 都市の美観維持と環境保全を果たす、いわば「緑の文化財」。高さ15m・幹周1.5m以上の老樹・古木という基準を大きく上回るもので、昭和43(1968)年10月1日の初回指定の際に選ばれています。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月14日 要旨 ☆★


● 《 大阪鉄道、大阪湊町・柏原間、開業(1889) 》

 「大和路線」の愛称がある「JR関西本線」。この前身も私鉄です。関西で「阪堺鉄道」に次いで古い「大阪鉄道」が、明治22(1889)年のこの日に、湊町~柏原間を、単線の蒸気機関車で運行を開始したのが始まりでした。機関車で、天王寺駅付近を頂点とする上町台地の特に西側の急傾斜の運行は困難とみて、大和川付け替え同様、台地を掘削して東西の高低差をなくしました。本ブログで度々登場する、跨線橋(こせんきょう)「阿倍野橋」誕生の由来でもあります。