中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 今から140数年前の慶応4年(1868年)閏4月中旬から約1ヵ月、断続的に大雨が降り、淀川・大和川をはじめ各河川の数位が上がり、5月半ばから各地で被害が出始めました。

 その時の様子を綴ったのが、その年に発行された『洪水図説』。その中から、主に石川・大和川の洪水について、現代の文章に改めて紹介します。


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 今日と明日は、いつもブログの最後で紹介している、大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』を、そのまま引用したいと思います。


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 ここで、「閏4月」について、少し説明を加えます。


 当時の暦は、「旧暦」や「太陰太陽暦」と呼ばれるものです。月が地球の周りを一周する29.5日を1ヵ月としていました。平年の1年は354日で、29日の月と30日の月がありました。月の1日は新月、15日がほぼ満月になります。

 今の「新暦」「太陽暦」とは、1年に11日の差があり、3年経つと1ヵ月以上のズレが発生しますので、季節が合わなくなります。そこでほぼ2年7ヵ月に1回、正確には19年に7回、同じ月を繰り返しました。その月を「閏月(うるうづき)」と呼びます。ここにある「閏4月」の前の月が、通常の「4月」で、その年は、1年が13カ月・383日あることになります。


 閏月はその時の季節のズレを修正するものですから、いつも同じではありません。

 因みに、今年は3月が2回あって、今日・5月12日は、旧暦ではまだ「閏3月22日」。「旧衣替(ころもがえ)」である「旧4月1日」は5月21日になります。夏を思わす日もありましたが、いつまでも寒さの残る今年、旧暦を参考にするのも、満更でもありません。








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