中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 来る5月19日の土曜日に開催される「西田辺まちバル」。

 大阪市阿倍野区の地下鉄西田辺駅界隈の飲食店を中心とした、初めての催しです。

 その内容はパンフレットに譲るとして、開催日まで何回かに分けて「西田辺」なる町を、調査・探索します。


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 大阪市営地下鉄御堂筋線の「西田辺駅」は、「南港通」と交差する「あびこ筋」下にあります。
 上の地図の印が、その「西田辺駅前」交差点です。

 

 「あびこ筋」の西側には、平行して「庚申(こうしん)街道」が南北に通っています。

 「南港通」の南側に、駅名の由来となった「西田辺町1丁目」とその西に「阪南町5~6丁目」が、北側には、「あびこ筋」を挟んで、西に「阪南町5丁目」、東に「昭和町5丁目」と「長池町」があります。


 東に走る「JR阪和線」までが「阿倍野区」で、その東は「東住吉区」になります。

 南に位置する阿倍野区「西田辺町2丁目」や東住吉区「山坂5丁目」辺りは、「JR阪和線・鶴ケ丘駅」の方が近く、いわゆる「鶴ケ丘」界隈で、今回の「西田辺まちバル」には、一部を除いて参加されていないようです。


 「西田辺」がある以上、東・北・南を冠した「田辺」も? ・・・ありました。

 現在、阿倍野区に「西田辺」、東に隣接する東住吉区に「北田辺」「田辺」「東田辺」「南田辺」が町名として残っています。この辺り一帯は、古代から「田辺郷」と呼ばれた所で、江戸期には「北田辺村」と「南田辺村」が、また、明治期にはそえらを包括した「田辺村」もありました。


 この内、現在の「西田辺」に人が住み始めたのは、案外新しく、17世紀の半ば過ぎからです。

 先ずは、「西田辺町」の前身「猿山(さるやま)新田」からの、簡単な歴史をまとめてみます。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月10日 要旨 ☆★


● 《 中敬男、寝屋川市南岸堤防築造のため大阪府会議員に(1897) 》

 古大和川に流れ込む支流であった「寝屋川」。付け替え後も元の流れを保ちました。明治中期、徳庵より下流の寝屋川堤防は大阪府費で築造されていましたが、上流は地元任せで放置されていました。土地の高低差から特に左岸の脆弱さは広範囲の地域に影響があることから、税金投入の必要性を感じた祖父・中敬男(なか・よしお)は、地方政治家から大阪府会議員への転身を決意、明治30(1897)年のこの日、当選を果たすとすぐに知事への強い要望を伝える一方、「寝屋川南岸水防組合」を組織、築造を完成させました。