< 八尾市植松町の「渋川神社」 >
明治22(1889)年、現在の「JR大和路線」の路線開通と共に開業した「八尾駅」。
八尾市の中心街は、北方の近鉄八尾駅寄りにあり、少し離れた位置にあります。
駅南側には植松町の古い街並みがあり、「渋川神社」の大クスが目につきます。
境内北東隅のクスノキは、大阪府指定の天然記念物です。
< 由緒板 > < 渋川神社拝殿 >
1533年、古大和川の「植松堤」が決壊、右岸側にあった「延喜式神名帳」に見える「渋川神社」が流失。
1572年になって、「御旅所」があった左岸の現在地に社殿を再建したと、由緒書に書かれています。
祭祀を助けていた「龍華寺(りゅうげじ)」も同じ道を辿りましたが、明治の神仏分離で廃絶しました。
< 渋川神社御神木と顕彰碑 >
昭和52(1977)年7月28日、午後7時20分頃の落雷で、当時の神社のシンボルであった樹齢350有余年の名木の頂部が焼損。その後の老朽で頂部落下の危険性が出てきました。
平成6(1994)年、地上約1.5m辺りで切断。上部に銅板冠をかぶせ、しめ縄を巻き、「御神木」として永久保存されることになりました。
< 境内社「正一位稲荷大神」 >
尚、掲載写真は、2年前の平成22(2010)年4月24日、近隣の「安中新田会所跡・旧植田家住宅」での講演会の際に撮影したものです。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 5月7日 要旨 ☆★
● 《 大坂城豊臣天守閣落城(1615) 》
戦国以来の争乱に終止符が打たれた「元和偃武(げんなえんぶ)」。元和元年(1615年)のこの日、「大坂夏の陣」で、不落を誇った大坂城が落城しました。天守閣を建てた「太閤・豊臣秀吉」の亡きあと、わずか17年のことでした。