< 上部までが現在の堤防、下の方が築造時で中心が粘土層で固められています >
付け替え当時の大和川の原堤防が出土した、昭和63(1988)年。
奇しくも、中甚兵衛生誕350年目でした。
その記念物ということもあって、まだ勉強5年の若造でしたが、当時一般に語られていた中甚兵衛と大和川の付け替え工事に関して、疑問を投げかけ、その通説を見直す必要があることを提唱しました。
今は懐かしいワープロを使って作成した私製冊子で、この日第1号を出しています。
第1号(昭和63年4月号) 中甚兵衛生誕350年に想う
第2号(昭和63年5月号) 促進派の嘆願書① 摂河15万石の川違え運動
第3号(昭和63年6月号) 促進派の嘆願書② 堤切所之覚と堤防比較調査図
第4号(昭和63年7月号) 付替運動のはじまり 河内百姓の江戸直訴による幕あき
第5号(昭和63年8月号) 延宝年間以前の付替運動 万治・寛文年間の御見分とその顛末
第6号(昭和63年9月号) 反対派の嘆願書 延宝4年訴状に見る付替反対理由
第7号(昭和63年10月号) 1683~1686 天和・貞享の幕府治水事業と川違御見分
第8号(昭和63年10月15日号) 促進派の嘆願書③ 貞享4年・川違え促進派の一大転換
第9号(昭和63年11月号) 付替運動期間の空白期間 元禄期の治水工事と新田の開発
第10号(昭和63年11月15日号) 大詰の付替運動 元禄16年の御見分と反対派訴状
第11号(昭和63年12月号) 係争の終止符 大和川付替の決定と工事見積書
第12号(昭和63年12月20日号) 付替工事① 大和川付替工事の概略
第13号(平成1年1月号) 付替工事② 姫路藩家臣連名と新川地形勾配史料
第14号(平成1年2月号) 甚兵衛の顕彰記録① 建立なった銅像と幻の建碑計画
第15号(平成1年2月15日号) 付け替え工事③ 新大和川の完成と周辺村々の苦悩など
第16号(平成1年3月号) 大和川付替運動年表 年表で見る付替運動史と通説との違い
第17号(平成1年4月号) 付替後の新田開発① 新開池の新田開発~鴻池新田と中新田
第18号(平成1年4月15日号) 付替後の新田開発② 川中新田の開発と河内屋
第19号(平成1年5月号) 甚兵衛の顕彰記録② 大正期の贈位と記念碑建立の記録
第20号(平成1年5月20日号) 終りに当って 十七文字の言葉遊びと参考引用文献
合 本 史料で見る大和川付替運動・工事史「甚兵衛と大和川」
それまでの史料・資料調査の取りまとめをした本誌は、今から見れば、語句・表現・内容など細かく見れば適切でない箇所も少なくありませんが、基本に立ち戻る時に欠かせないものとなっています。
また、「甚兵衛と大和川」という書体と題名は、縦書きに改めたものの、その後の出版物のタイトルにも使うこともあって、拙プロフィールにあるように、三部作が出来ました。
第16号では、次のような文章で締めくくっています。
「本誌は、これまでに刊行された数々の書を採り上げ、その誤りの部分を指摘してきたが、それらの書から、その事と比較にならないほど多くの事柄を学び、調査を進める上で非常に参考になったことを付記しておきたい。」
これが、「通説に学び、通説を疑う」という、モットーのスタートでした。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 4月10日 要旨 ☆★
● 《 中甚兵衛生誕350年を機に、付け替え史の問題点提起(1988) 》
上記の他、そもそもの発刊のきっかけは、当初、第1号の内容を地域誌に投稿したところ、通説と大きく異なることから、編集にも携われ執筆もされている先生方から、掲載を断られたからと記しています。結局は、のちになって掲載されました。