中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 昭和29(1954)年の「大和川付け替え250周年」を挟んで、3年越しで行われた顕彰事業。

 その締めくくりが、昭和30(1955)年のこの日の、記念碑の除幕式でした。


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 柏原市の付け替え地点、築留(つきどめ)堤防上の建立地で除幕式が行なわれたこの日、記念出版物として、『治水の誇里(ほこり)』と『大和川付替工事史』が刊行されました。


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 < グラフ誌「治水の誇里」 >  < 畑中友次著「大和川付替工事史」と準備プリント


 これら3点の記念物には、原稿の締め切りに差があったのでしょう。

 準備プリントが参考資料となったとみられる「①記念碑文」、写真を豊富に使った「②治水の誇里」、そして「③大和川付替工事史」…。


 調査の進捗状況を示すごとく、段階を経て内容は史実に近づいてはいきますが、付け替え運動に携わった人物など、三者三様の記述の違いは見過ごしてはならず、この時点ですでに③は、①の碑文の間違い指摘しているほどでした。

 そして、節目の事業の終了と共に、その後の調査が打ち切られたことが悔やまれます。


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 現在、大和川付け替えの功労者として知られる中甚兵衛の銅像と同じ、「大和川治水記念公園」に250年の記念碑が建っていますが、中甚兵衛の記載は少なく、付け替え運動を記す文面の8割は、その先代の時代の3人の実在しない人物名を挙げ、史料では確認できない時代の動きを記しています。

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 その後の定説の裏付けとなる、この時の顕彰事業の調査内容について、『改流ノート』を自費出版(1992)して史料との違いを詳述、その一部をまとめた論文「大和川付替運動史の虚構をつく」を『歴史徳本』に応募、第19回郷土史研究賞(1993)を受賞しました。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月25日 要旨 ☆★


● 《 「大和川付替二百五十年記念碑」除幕式(1955) 》

 戦後10年。大和川付け替え250周年に当る昭和30(1955)年頃から、昭和の各市町村史が相次いで刊行され、碑が建った大和川の付け替えは格好の材料として採り上げられました。その後の刊行物は、自らのものより先の書物類を順送りに丸々踏襲。その元となった大阪府知事名の碑文は、権威あるものとして絶対的な位置づけが出来、永らく定説の地位を築くことになります。史料の詳しい調査、新史料の発掘などで、多くの問題点が明らかにされていますが、未だ、この碑文による従来説を述べる文面も時折見受けれます。