中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 住吉区の「長居公園通」から南へ、あびこ筋の地下鉄あびこ駅の南を東西に通る「住吉八尾線」まで、直進出来るたった一つの道は、「長居東2」のバス停」と「長居東2西」の信号のある所、すなわち、「ライフ」と「デニーズ」に挟まれた所から南下する道です。

 

 「よさみ神社前」のバス停が近い住吉八尾線の信号を渡って、更に直進すると、大依羅神社の鎮守の森が見え出し、「住吉区庭井2丁目18」の表示があるブロック塀に突き当たります。


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 阪南高校の敷地北側に辺り、この道路に面して通用門があります。東側は大依羅神社に接しています。

 即ち、右へ進めば「府立阪南高校」、左へ行けば「大依羅神社」です。


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 < 阪南高校通用門と、東側の大依羅神社神社の森


 通用門から更に西へ、ブロック塀沿いの側溝にこのようなものが転がっているのを見て進むと、先の信号の西から南西方向に伸びる道に出、その角に、阪南高校の正門があり、冒頭の標識が掲げられています。


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 正門から、道路に沿って西から南側に回ります。

 奥に大依羅神社の鎮守の森や、更に進むと、本殿の大屋根も見えてきます。


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 左手のグランドを過ぎると、昨日のブログのように、左手に大依羅神社参道、右手に公園があります。


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 小さな砂場がある「庭井2号公園」のこじんまりとした敷地の片隅に、大阪府と昭和5(1930)年3月の日付けのある「依網池址(よさみいけあと)」の石碑が建っています。

 古代から近世にかけて、阪南高校の敷地辺りから、南の大和川と西除川を越えた辺りにかけて、「依網池」(別名=味右衛門池)がりました。真ん中を貫通した大和川付け替え以降に、姿を消しました。

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          < 「依網池址」碑の向うが「阪南高校グランド」のフェンス


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 上の写真は公園の奥からのもの。左手に鳥居、右手に址碑、手前右に砂場が見えます。

 従って、正面の道路を、右(南)に行けば大和川堤防、左(北)に入れば神社の南からの参道です。


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 阪南高校のテニスコートが参道の西側に、東側には広大な「阪南高校グランド」があります。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月24日 要旨 ☆★


● 《 府立阪南高校、旧依網池跡地に移転(1960) 》

 現在の住吉区内の初めての府立高校として「大阪府立阪南高等学校」が開校したのは、昭和34(1959)年のことです。ただ、開校時は新校舎竣工に間に合わず、阿倍野区北畠の「市立阪南中学校」内の仮校舎での授業。翌・昭和35(1960)年のこの日に現在地移転、4月の新学年度を迎えることが出来ました。
 昭和44(1969)年6月16日、庭井地区所有として残っていた依網池を造成、高校グランドとなった日が同校の創立記念日とされています。グランドはその後も道路移転などで拡張され、現在に至っています。