中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市住吉区庭井2丁目の大和川右岸堤防から、下流の吾彦大橋方面を望んだものです。


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 「大依羅(おおよさみ)神社」の南側参道入り口辺りから、大和川堤防に出ます(地図赤線)。

 参道入り口東側には、「府立阪南高校」のグランドがあります。

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 右側がそのグランドのフェンス。正面に公園があり「依網池(よさみいけ)」の碑が建っています。

 この公園の前の道を、左手の方へ進みます。


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 自転車の奥に見える碑のある公園を曲がり切ると、写真左手のようにフェンスで遮られた細長い空き地があります。大和川に沿って走っていた「阪和貨物線跡」で、線路は完全に撤去されていますが、ここから少し離れた位置には「線路内立入禁止」の注意書きが残っています。


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        < フェンス西側 >                       < フェンス東側
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 線路跡を過ぎると、堤防はすぐで、そんなに高くはありません。

 付け替え時、この辺りにあった「依網池」を貫通して大和川が造られ、池底が川底となったためです。


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 堤防上に出ると、「大依羅神社」の森や「阪南高校」のテニスコートやグランドが見渡せます。

 堤防上の自動車道路は二車線ギリギリで、特に北側は歩道部分がありません。

 その脇に張り出した形で、水防屯所と倉庫が建っています。

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 この付近の「大和川距離標」は、200m毎の小さなもので、河口から「7.6」kmであることを、示しています。一見した時は「の」と見えましたが、7.6の横書きでした。

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 対岸には、「雨水ポンプ場」(今井戸樋門排水機場)と排水用の「今井戸樋門」や、「阪神高速大和川線」の工事現場が見えます。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月23日 要旨 ☆★


● 《 姫路藩主死去に伴い、公儀普請場を決定(1704) 》

 大和川付け替え工事の当初の御手伝大名である姫路藩主死去の報、と言うアクシデントに関わらず、わずか2日後のこの日、普請奉行らは上流部に公儀普請場を取り入れることを決め、急遽普請人足を募る触書を出しました。一方で幕府に新御手伝大名の人選を願っている間にも、3月27日には姫路藩が残した水盛を再開、30日には普請役所を太田村に移し、新川工事を継続する体制を敏速に整えました。