中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 昨日のブログ、「北御堂」には、「親鸞聖人」と「蓮如上人」の像が建っています。


 「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えさえすれば誰でも浄土に往生できるという、「浄土宗」の開祖「法然(ほうねん)」(1133~1212)の教えを純化徹底させて、一向(ひたすら)に阿弥陀にすがる「絶対他力」と、自分が真の悪人だと自覚することによってこそ救われるという「悪人正機(あきにんしょうき)」を唱え、「浄土真宗」の開祖となったのが、「親鸞」(1173~1269)です。


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 武士・農民に広まった浄土真宗も、親鸞の死後、衰えましたが、室町中期に第8代宗主「蓮如(れんにょ)」(1415~90)が飛躍的に教勢を拡大し、現在も東西本願寺に拠って、わが国最大の周派とされています。

 「浄土真宗中興の祖」と言われる所以で、明応5年(1496)年に、現在の大阪城付近に建立された坊舎が「石山本願寺」(石山御坊、大坂本願寺・大坂御坊)の始まりです。

 蓮如が記した文章に「大坂建立の章」があり、「大坂」の地名が見える最古の文献とされています。


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 真宗の本山であった「山科本願寺」が1533年に焼失、本山が大坂本願寺に移された時期がありました。

 しかし、大火での焼失や再興後の石山合戦などを経て、本山は1591年に京都堀川へ移転されています。

 大坂の門徒は、石山合戦最後の砦の地「桜の岸」(現・天満橋南詰辺り)に坊舎を設けました。

 更に、豊臣秀吉の大坂整備に伴い、慶長2年(1597年)に第12代「准如(じゅんにょ)」が坊舎を津村南之町に移し「大坂御坊」あるいは「津村御坊」と称しました。


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 その後、元禄7年(1694年)など数回にわたり境内地を拡張する一方、昭和2(1927)年の御堂筋拡張時には境内地を提供するなどして、昨日のブログ通り、現在に至っています。


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 因みに、中甚兵衛は、「宝永2年(1705年)の10月29日、67才にて摂州大坂津村御坊にて剃髪、法名乗久」を名乗ったことが、「覚」として書き残されています。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月22日 要旨 ☆★


● 《 大阪環状線、環状運転を開始(1964) 》
 明治期に既にあった、国鉄の「城東線」と西成線」。城東線は大阪鉄道の天王寺~大阪間、西成線は西成鉄道の大阪~西九条~安治川口の路線を国有化したもの。城東線の天王寺駅と西成線の西九条駅を結べば、環状になりますが、その実現には半世紀以上の歳月がかかりました。

 外回りと内回りの完全な環状運転が開始されたのは、東海道新幹線の開業と東京オリンピックの開催を秋10月に控えた、昭和39(1964)年の春、この日のことでした。