「大阪市立今川小学校」の「ふれあい授業」感想文、一昨日から連続の3回目です。
「ビックリしたこと、初めて知ったこと、こわいこと、おもしろいことなどが、いっぱいありました。」…
ということで、お話の中で、特に印象に残ったとする具体例を、いくつか拾ってみます。
「今日、話をしてくれる人が甚兵衛さんと同じみょうじと思っていたら、中甚兵衛の十代目と聞いて、ビックリしました。」
はじめに、今の私の名前が「中九兵衛」で甚兵衛の十代目であることを紹介、話の途中で甚兵衛の子供が「中九兵衛」であることを話すと、「えっ、どうして」となりますが、質問時間までその理由は隠しておきます。最後まで忘れずにいて質問があれば、家を継ぐ時は親の名前まで引き継ぐことや、甚兵衛の子供が親の名前を継げなかった理由も話します。こうした秘話にも、かなり興味があるようでした。
「中甚兵衛の子供の名前が、今までずっと続いているとは、おどろきです」
中甚兵衛が生れた頃から、付け替え工事に至るまで、年表を掲げて話を進めていきますが、最初の関心は、甚兵衛が生れた年の年令が「1才」であることです。ここで「数え年」の説明をします。
「昔は、0才がなく、生まれるとすぐ1才で、あとはみんな、1月1日に年をとるというのは、はじめて知ったし、とてもおどろきました。12月に生まれたら、すぐに2才ですね。」
少し疲れてきたところで、35才での甚兵衛の結婚の話。お嫁さんの年を当ててもらいます。
中には年上の年令など口々に意見が出てから、答えをあかすと、眠気もいっぺんに吹き飛びます。
「甚兵衛さんが、いとこの16才のむすめさんとけっこんしたという話、一番びっくりしました。」
数え年の話、結婚の話…、大和川付け替えとは関係ありませんが、相当関心があったようです。
勿論、本題の「大和川付け替え」や「中甚兵衛」に関しても、しっかりと聞いてくれています。
「中甚兵衛さんが、何才の時に何があったのか、たくさん知れてよかったです。」
「18才でお父さんが死んでかわいそうと思いました。悲しいのに、けんめいに勉強して、江戸まで歩いてつけかえをお願いにいくなんて、すごいなぁと思いました。」
「自分たちの府内に、こんなにあきらめずに、46年もの長い間、お願いをしている人がいたなんて、わたしが生まれて初めて知った、すごい人だと思いました。この事をわすれません。」
「中甚兵衛さんは、とてもがまん強い人であることが分かりました。」
「中甚兵衛さんに、曽根三郎右衛門と山中治郎兵衛という強い仲間が2人もいたことは、教科書にもなかったし、初めて知れてよかったです。」
「しょうぞう画の頭の傷あとが、とても気になります。」
「川ぞこに、3mも土がたまって、天井川になって、そのあとの大洪水は、こわかったです。」
「大和川は、つけかえ工事よりも、それまでがいっぱい時間がかかったことが、よくわかりました。」
最後のまとめ。古大和川は、淀川と合流しなければ海に出られなかったことが、洪水多発の最大原因で、自らが直接海に出られるようにすることが、甚兵衛の狙いであったことを再確認。それを「五・七・五」で表現し、最初の行を数字に改めてもらいます。分かった児童から、次々に「おっ、すごい」の声があがります。
「この句で、つけかえの意味が分かり、位置なおしを数字に変えたら1704で、つけかえ工事をした年になるのは、ミラクルでおどろきました。とてもおぼえやすく、ずっと頭の中に入ってます。」
授業開始時には、今から何年位前のことかも答えられなかった児童も、しっかり覚えてくれたようです。
「みなの質問に答えてくれて、とてもうれしかったです。」
「休み時間に、あくしゅをしていただいたし、サインまでくれて、とてもうれしくて、今日はほんとうに楽しい日になりました。」
「いろんなことを知ってもっと成長していきます。いろいろ教えてくれてありがとうございました。」
「これからは、わたしたちも甚兵衛さんみたいに、かしこくなっていきます。」
「わざわざ来てくれてありがとうございます。… もう一度言います。おいそがしいところ、ありがとうございました。」 …
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月19日 要旨 ☆★
● 《 東大寺大仏建立の実態を語る遺物出土(1988) 》
8世紀中ごろの奈良東大寺の大仏鋳造の実態を示す、200点の木簡などの遺物が、深さ9mの地層から初めて出土したことが、昭和63(1988)年のこの日に発表されました。また、藤原不比等の娘で皇室外からの初めての皇后となった「聖武天皇」の妃、「光明皇后」の「薬院」「悲田院」の文字が記された木簡や、巨額の寄進が窺える木簡も出土し、大仏建立の影の立役者としての姿が浮かび上がりました。