< JR久宝寺駅北口 > < 平成23(2011)年の地図 >
< JR久宝寺駅北口、西側の駅名表示(左)と、駅前の「サントレイン」という名の喫茶店 >
昨日も採り上げた「JR久宝寺駅」は、大阪府八尾市龍華町(りゅうげちょう)2丁目にあります。
駅の北側は、すぐ近くまで、工場などが迫っている古くからの土地ですが、駅とその南側は、大阪府南部の広域的な物資輸送・貨物列車の拠点として、昭和13(1938)年から昭和59(1984)年2月まで、「旧国鉄竜華操車場」のあった所です。
< 昭和52(1977)年の地図 >
大阪東部の新都心の拠点を創造するために、この操車場跡地が利用されました。
商業・居住機能を備えた、産業・生活・文化を創造する町づくりとして、「大阪竜華都市拠点区画整理事業」が、平成9(1997)年度にスタートし、約25haの計画面積は平成17(2005)年度に終了しました。
< 平成17(2005)年1月の地図 >
< 駅北側(向こう側)は工場が迫る(左)と、バス停など駅前広場がある駅南側(右) >
< 再開発のシンボル・ツインビル「メガシティータワーズ」(左・中)と「久宝寺リーデンスタワー」 >
橋上の駅構内からの眺めも、一幅の絵のようです。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月16日 要旨 ☆★
● 《 和気清麻呂の河内川放流計画承認(788) 》
古代から洪水氾濫を繰り返した大和川。その対策は、京(みやこ)が奈良から京都に移りつつある桓武天皇紀でも重要課題でした。当時の大和川本流は、長瀬川の途中から分流する「河内川」、後の「平野川(ひらのがわ)」でした。伎人堤(くれひとのつつみ)・渋川堤・長瀬堤の決壊を防ぐために、上町台地を掘削して直接大阪湾に落とし込む計画が、和気清麻呂(わけのきよまろ)から具申され、延暦7年(788)年のこの日に承認されました。しかし、台地掘削は難渋を極め、延べ23万人と多額の費用を投入したものの完成をみるには至りませんでした。