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    < 「田辺村松原」とその周辺 >               ↑長池 ↑松原新田 四角いは山阪神社


 寛文4年(1664)年に誕生した「松原新田」は、住吉郡に属する一つの村でした。

 明治22(1889)年の合併で田辺村の大字となり、のち東成郡田辺村に属しました。

 明治43(1910)年には、古大和川筋の新田同様、大字名から新田の文字が削除されました。


 大正3(1914)年の町制施行で「東成郡田辺町松原」に、大正14(1925)年の市域拡大で「大阪市住吉区松原町」に、その後昭和6(1931)年までに、主に山坂町3~5丁目となり、松原の名前が消えました。


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 冒頭の明治期の地図では、西側にある「長池」に沿った地形を、山阪神社東側から南西へ伸びる道路の東側に、松原新田の集落が見えます。現在の地図と比較してみると、上の道路は、JR阪和線と平行に走っており、長居公園の長居競技場西側の道路とも繋がっています。


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 現在、山阪神社から南西への道路は、「南港通」で一旦遮断され、少し離れた信号を渡らねばなりませんが、道路そのものは繋がっています。南港通の少し南が上の写真です。

 右側が南西に伸びる道路。左側ほほぼ南北に伸びる道路で、いずれも長居公園に達しています。

 この三叉路の手前、東側(写真左側)付近に「松原新田」の集落があったようで、逆に写真右側一帯が、大正期に開発された「松原住宅」です。

 共に、現在は「東住吉区山坂」で「松原」の名は残っていませんが、この近くにその名残と見られる不動産屋さんがあります。

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上述のように、南西方向に道路も伸びる旧松原地区は、その北部を「南港通」が東西に通って寸断されていますが、注意して見ると、その北と南の通りが南港通を斜めに横切って繋がっているのが分かります。


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             < 南港通北側の道路からから南側を望む


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             < 南港通南側の道路から北側を望む


 昨日の「松原荘」の石柱は、南港通りの北側で、山阪神社の真南に当ります。

 後年の開発に依るとは思いますが、通りが南北方向であることに少し気になるものの、旧松原新田集落の東と北の端に近い位置であった可能性が出てきました。

 明日は「松原住宅」を調べます。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月10日 要旨 ☆★


● 《 旧南北生駒村で「生駒町」形成(1955) 》

 「近鉄生駒(いこま)駅」を玄関口とする、奈良・大阪のベッドタウン「奈良県生駒市」。その原型は、明治22(1889)年に22ヵ村が分割統合された、平群(へぐり)郡の「北生駒村」・「南生駒村」と添下(そえじま)郡の「北倭(きたやまと)」村の3ヵ村です。明治29(1896)年には、平群・添下郡が合併して「生駒郡」が誕生しました。

 大正10(1921)年、北生駒郡が町制施行して「生駒郡生駒町」に。昭和30(1955)年のこの日に南生駒郡を合併、昭和32(1957)年に北倭村をも合併、昭和46(1971)年に「生駒市」となりました。

 その他、生駒の日本最初のケーブルカー、名所、特産品・ゆるキャラなどを解説しています。