中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 今日から「弥生・3月」。その声を聞くだけで、何か心が浮き立ちます。

 東住吉区長居公園にある「大阪市立長居植物園」のスタンプも、springの始まりです。


 「フラワータペストリー」(壁面花壇)の模様替に期待をもって訪れましたが、今回も冬期限定。

 14日の「ホワイトデー」まで、2月の「セント・バレンタイン」のままで撤去されるとのことでした。


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 2月は日曜でも閑散としていた園内も、平日に関わらず、3月の声に訪れる人も増えたようです。

 社会見学を兼ねての小学生の団体もあって、何時になく賑やか。


 「水ぬるむ・・・」とまではいきませんが、白鳥も接岸してのサービス?

 ズボンを口にくわえられる子供もいて、微笑ましい光景が見られました。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 3月1日 要旨 ☆★


● 《 堤奉行・万年長十郎、忌日(1715) 》

 1704年の大和川の付け替えと、その後の新田開発に多大の功績を残した堤奉行の「万年長十郎」。

 大坂の代官として、1691年に堺廻り3ヵ村を支配しているのが、史料的に古いもので、また、遅くとも1698年には堤奉行を兼任していることが、確認されています。河村瑞賢の二度にわたる普請でも、大洪水が避けられず、幕府が漸く付け替えを正式に取り組むことが決まって、担当者に選任されました。

 付け替えのほんの数年前に大坂に赴任し、幕府の誰もが支持しなかった中甚兵衛の意見に興味をもち、それを採り上げた人物というのは、俗説に過ぎません。

 正徳5年(1715年)のこの日、69歳の生涯を閉じています。