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 現在は、大阪市東住吉区長居公園の東に隣接する町、「鷹合(たかあい)」。

 その中央を「駒川」が北に流れています。


 「依網屯倉阿弭古(よさみのみゃけあびこ)」から献上された不思議な鳥が、鷹(たか)であることを知った天皇は、百済王の一族である「酒君(さけきみ)」に命じて鷹を養わせた・・・『日本書紀』の仁徳天皇43年に記載されています。その酒君のお墓が、田辺古墳群では最も古い4世紀末築造の「酒君塚古墳」。

 鷹合2丁目5番に伝わり、周りは「酒君塚公園」として整備されています。


 その南東角に、背の高い非常に立派な地蔵堂があります。


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 「随願(ずいがん)地蔵尊」とありますが、その由緒は掲げられていません。


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 酒君塚公園の南の通りを西に進むと「駒川右岸」に出ます。

 ここに架かる橋が、地蔵尊の名をとった「随願橋(ずいがんばし)」。


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 ここから、右岸を流れに逆らって南下します。

 「松原(まつばら)橋」-「鷹二(たかに)橋」-「鷹匠(たかしょう)橋」-「栄(さかえ)橋」。

 ここから鷹合4丁目に入ります。鷹合小学校北側に通じる「学(まなび)橋」を経て、同東側の「鷹合橋」の所を左折、次の地蔵尊を訪ねます。すぐ南には「鷹合神社」があります。

      鷹合神社 ⇒ http://ameblo.jp/imagome/day-20110729.html


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 左手にある浄土真宗本願寺派「雲茎寺(うんきょうじ)」の前、道を挟んで地蔵堂があります。

 「満願(まんがん)地蔵尊」です。こちらも由緒を知る術がありません。


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★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 2月23日 ☆★


● 《 5代将軍・徳川綱吉、生誕日(1646) 》

 大和川付け替えが行なわれた時の将軍は、第5代「徳川綱吉」。大和川の状況が史上最悪であった延宝年間の終盤・1680年に就任、以後24年を経てのことでした。綱吉を擁立した「堀田正俊」を大老に据え、大和川の治水に本格的に取り組みましたが、施策のもつれから、正俊は若年寄「稲葉正休」に殺され、その後は大老を置くことなく側用人(そばようにん)を設け政治を委ねることが多くなりました。

 綱吉は、3代・家光の末弟として、正保3年(1646年)のこの日に生まれ、大和川付け替え後の新田の検地を終えた翌・宝永6年(1709年)の2月19日に64歳で他界しています。