中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 昨日のブログ、「盆栽庭園」の原型、旧住友家本邸の純日本風庭園「慶沢園(けいたくえん)」。

 大阪市天王寺区茶臼山町の「天王寺公園」内にあります。


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 明治41(1908)年、「木津聿斎(きづ・いっさい)」の設計で、全国の名石と名木が集められました。

 作庭施工を担当したのは、近代日本庭園の先駆者と言われる高名な京都の庭師「小川治兵衛」。

 完成したのは、大正7(1918)年5月のことでした。


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 中之島を浮かべた大池を中心にして、三方に築山を配し変化をもたらしています。

 大名庭園をモデルとしたもので、林や泉水をめぐれる「林泉(りんせん)回遊式庭園」です。


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 大正10(1921)年、住友家が転宅。大正15・昭和元(1926)年、庭園を含む茶臼山一帯の土地が大阪市に寄付されました。

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 庭園の名の由来は、「太平の世の恵みは先祖のお陰」を意味する「昭代(しょうだい)の恩、祖先の余(よたく)」に依るもので、初めは「恵沢園」でしたが、完工時に「慶沢園」の文字に改められました。


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                     < 奥の建物は「大阪市立美術館」 >


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 尚、写真は、平成7(1995)年と平成15(2003)年の6月に撮影したものです。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 1月19日 要旨 ☆★


● 《 前日よりの大火で江戸城本丸炎上(1657) 》

 後年創作の恋の因縁話から「振袖火事」の異名がついた江戸の大火。1657のこの日、江戸城の本丸や二の丸も焼け落ち、その後は天守閣が再建されることはありませんでした。因みに、大坂城も江戸期に落雷で焼失、再建されませんでしたが、昭和になって市民の寄付金で姿が戻りました。

 この年、江戸で材木商を営んでいた「河村瑞賢」は木曽の木材を買い占め、復興に必要な材木の販売で巨利を得ました。一方、「中甚兵衛」も江戸に下り、以後足かけ15年に及ぶ活動の拠点をおきました。

 これ以降、大和川付け替えを訴え続けた農民・甚兵衛と、後年、それを愚かな考えとして幕府を説得した商人・瑞賢。「農と商」「治水と利水」・・・・。大和川をめぐって意見の違いが表面化しますが、2人の江戸での出会いはあったのでしょうか。