「我孫子・あびこ・吾彦」の連載、3回目。
写真は、大阪市住吉区の「我孫子東」に沿っている「あびこ筋」。対面の住吉区苅田側からの撮影です。
「鳳(おおとり)11km・百舌鳥(もず)5km」の標識があるように、あびこ筋のこの先に大和川があって、それを渡ると堺市に入ります。
大和川に架かる橋は、この1月12日に開通36周年を迎えた、「吾彦大橋」。
ここは、苅田側の市バス「あびこ大橋北詰」のバス停。先に橋へのスロープが始まっています。
写真右に、待合用の緑の屋根がある、我孫子東側のバス停が見えます。
この辺りは、「我孫子東3丁目」でも、その南部。
いわゆる我孫子地区でも最も南になり、地下鉄「あびこ駅」の南部に当ることから、「我孫子南」とも呼ばれています。冒頭写真の右手に見える建物群は「大阪市営我孫子南住宅」です。
我孫子東3丁目の最南端には、既に廃線となりましたが、「阪和貨物線」が横切っていました。
我孫子大橋へのスロープ下を除いた道路部分には、その線路が残されています。
< 旧阪和貨物線線路跡。JR西日本の所有地です。 >
この線路跡の南の道路で、我孫子東3丁目の、即ち、我孫子・我孫子西を含めた、いわゆる「我孫子地区」が終わります。我孫子東の南の町は、住吉区浅香です。
ここで、今回の散策も終わりと思ったのですが、町界道路の浅香側に学校がありました。
その名は何と、「大阪市立我孫子南中学校」(浅香1丁目8)でした。
因みに今回は訪れていませんが、「吾彦観音寺」の西方、住吉区遠里小野(おりおの)1丁目には、南海本線の「我孫子前駅」が、更に住之江区との境界には、阪堺電軌阪堺線の「我孫子道駅」があります。
以上、「我孫子」「あびこ」「吾彦」に加えて「アビコ」の表示を、携帯カメラに収めてきました。
同じものを対象に、管理者の違いで漢字とひらがなを使い分けているようでしたが、ひらがな表示が原則(?)のバス停に漢字表記もあって、しかもその前のバス停の次駅表示と違っているものも発見出来ました。
ところで、現在、町名にも使われている「我孫子」は、古くは中世にさかのぼる地名で、江戸期には、摂津国住吉郡に「我孫子村」がありました。
元々の地名の由来は、『日本書紀』などに見える「依網吾彦(よさみのあびこ)」一族が居住していたことに依るもので、「吾彦」「吾孫子」などと記されてきました。現在に続く使用は、極めて稀です。
「吾彦観音寺」がその一例ですが、「吾彦大橋」はその古い表記を現代に取り入れたものです。
最後に、その「吾彦大橋」からの大和川を見て、このシリーズもひとまず終わります。
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 1月14日 要旨 ☆★
● 《 四天王寺修正会法要結願行事(どやどや) 》
正月前半(1~14日)に、その年の吉祥を祈り、天下泰平を祈願する「修正会(しゅうしょうえ)」。大阪・四天王寺でも、この日に結願日(けつがんにち)を迎えますが、場内の「六時堂」内の厳粛な法要と並行して、堂前で日本三大奇祭の一つ「どやどや」が執り行われます。TV・新聞等で必ず報道される年頭の伝統行事です。