中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市東住吉区を北に流れる今川沿いのミニ庭園。

 2日からの連載で、今日はその3日目、写真は尽きませんが、一先ずアップです。

 最終回は、灯篭からスタートします。


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    ↓< 対岸にある 「今川」の表示
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 残念だったのは、これほどの場所に、「ポイ捨て禁止」の表示板があったこと。

 そんな心無い人が実際にいるから、注意を促す板を建てられたのでしょうね。

 西今川のFさんの、痛む心に涙が出ます。

 Fさんに、心からの敬意と感謝の気持ちを表して、連載を閉じます。



★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 1月4日 要旨 ☆★


 《 奈良・興福寺、南大門・金堂など焼失(1717) 》 藤原氏の氏寺である興福寺。大和高市郡厩阪(うまやさか)から、710年の平城京遷都の際に、京に移され、その号が生れました。1180年に南都焼討で全焼。その後に再興されていた多くの建物も、享保2年(1717年)のこの日の出火で焼失しました。

 幸いにも、「阿修羅像(あしゅらぞう)」など多くの国宝・重要文化財が難を逃れ、興福寺創建1300年の昨年・平成22(2010)年に、リニューアルした「国宝館」に収められたのは、記憶に新しいところです。