● 今年も残りわずか
クリスマスも終わりました。
スーパーの食糧品売り場は、蒲鉾をはじめ、ずらり正月用で埋め尽くされています。
気がつけば、今年の最終週。
新聞の週間天気予報に、1月1日が現れました。
< 大阪日日新聞 12月26日 >
● 数え日
「もういくつ寝るとお正月…」。今では歌われなくなった童謡ですが、この歌のように指折り数えるほど、年内の日は少なくなりました。こうした時期を表す言葉が、「数え日」です。
本来は「冬至」を過ぎると、師走は「数え日」になりますが、昨今では、クリスマス明けの今日からが、それにふさわしいような気がします。
暮れの押し詰まった、慌しさが募る中、俳句を詠む暇などないかも知れませんが、俳句の季語にも「数へ日」があります。
この数日で、年内に片付けておかねばならないことを確実にこなしつつも、迎春準備も抜かりなく進めることは、容易ではありません。
そこで、たとえ他の事は不義理にしても、この事だけは義理を欠かすことが出来ないので、せめてこれだけという気持ちになるのも、当然です。
数へ日の 欠(か)かしもならぬ 義理ひとつ
高浜虚子の弟子とされる「富安風生(とみやす・ふうせい)」の句ですが、言い得て妙です。
ただ、暮れが押し詰まった「数え日」も、先程の童謡を引き合いに出すまでもなく、大人と子どもでは、気持ちが異なるのも事実です。古く、江戸時代の川柳にも、
数へ日は 親のと子のは 大違い
があります。1765~1838年に作られた川柳集『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』、略して『柳樽』に収められています。
因みに、子供心を唄った童謡の一番の歌詞は、次のようです。
もういくつ寝ると お正月
お正月には凧あげて、追い羽根ついて遊びましょ
★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 12月26日 要旨 ☆★
大和川付け替えの前年から、本村に隣接した新開池の一部を「箕輪村」が開発に着手しました。付け替え後の新田開発のような地代金は払わず、既に宝永2年(1705年)、多くの新田開発が着手する頃には検地も終えていました。ところが、その後すぐに、この「箕輪新田」に、年貢を払わずに済む開発期間「鍬下年季(くわしたねんき)」を他の新田並にあと3年延長するので、その間に、地代金を払うよう求められました。
この地代金が村の財政を圧迫、宝永7年(1710年)のこの日、新田の大半を手放しました。これを得たのは、2日前に中新田の内、前嶋を鴻池に譲渡した中九兵衛と河内屋三郎平です。