中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


● JR浅香駅から「浅香山稲荷神社」へ


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

 < 西除川の浅香橋から見たJR阪和線。手前、左への道が神社への参道。

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 JR阪和線の「浅香駅」前の「西除川」に架かる「浅香橋」を渡り、JR高架線の手前を左に曲がると、「浅香山稲荷神社参道」などの標柱があり、途中の標識通り進むと、すぐに神社に到達します。この間、数分。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

 < 道路左手の石柱 >     < 道路右手の古い標柱 >     < 神社への曲がり角の標識 >



● 浅香山稲荷神社の由来書


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大和川の付け替え工事の中でも、とりわけ難工事であった浅香山周辺。

 俗説の域ながら、いくつかの「狐伝説」がありますが、この由来書に依れば、江戸から派遣された普請奉行の一人、「大久保甚兵衛忠香(ただか)」が、工事終了後に狐塚の所に神殿を建立したのが、今に伝わる「浅香山稲荷神社」であるとされています。


 大久保甚兵衛忠香は、工事竣工の功で、江戸に於いて将軍より「金(きん)・時服(じふく)」を賜った2日後の、宝永元年(1704年)の今日・11月15日に、大坂西町奉行に就任。更に、12月11日には、「従五位下(じゅごみか)」を叙せられ、「大隅守(おおすみのかみ)」と称することになります。

 このことを憚り、中甚兵衛は嫡子以降の代には、「甚兵衛」を名乗らせませんでした。



● 大久保大隅守奉献の灯篭


   中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

         < 神殿前にある大久保大隅守奉献の一対の石灯篭


      中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記
        < 灯篭前面 >           < 灯篭裏面


 <前面銘文>  奉献   浅香山稲荷社御前 石檠一基   従五位下 大久保大隅守忠香

 <裏面銘文>  宝永元年甲申十一月十五日 


 裏面の日付けは、前述の通り、大坂西町奉行就任日ですが、大隅守となっていることから、奉献は12月11日以降ということになり、灯篭建造は宝永2年(1705)年と見るのが妥当と思われます。



● 川口奉行寄進の手水鉢


   中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

              < 境内右手にある川口奉行寄進の手水鉢


         中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

           < 川口奉行の文字 >           < 手水舎


 <銘文> 稲荷大明神御神前 奉寄附手水鉢一基 安全祈祷 宝永二酉十二月吉辰 川口奉行

中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の11月15日の頁も、大久保甚兵衛忠香の大坂西町奉行就任日として捉えています。