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● 東住吉区長居公園


 「長居スタジアム」「キンチョウスタジアム」「屋内外プール」や、「植物園」「自然史博物館」など、幅広い設備を擁する「長居公園」の、現在の住所表示は、全域が「大阪市東住吉区長居公園」。


 昭和55(1980)年以降のことで、その以前には、西から、旧長居村寺岡の一部の「西長居町」、旧長居村堀の一部の「東長居町」、旧南百済村鷹合(たかあい)の一部の「鷹合町」に分かれていました。


 この内、東長居町と鷹合町の境界が、古代の難波宮から南下していた「難波大道(なにわだいどう)」に、ほぼ沿うものとみられます。

 長居公園の北側では、「田辺中学校」の校舎とグランドの間、「南田辺小学校」の東側の道がそうです。

 更に北へ向かえば、「山阪神社」の東、「法楽寺」の西の通りになります。


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       < 昭和42(1967)年発行の長居公園周辺地図。は保利神社。矢印は霊園。 >


● 旧堀村(長居村堀)の領域


 上記地図には、昨日のブログの「保利神社」で述べた、旧堀村(同・長居村堀)の領域の一部を踏襲すると考えられる町名として、「東住吉区東長居町」と「住吉区長居町東」が見えます。

 東住吉区の「東長居町」は、前述のように昭和55(1980)年に「長居公園」の、住吉区の「長居町東」は、昭和56(1981)年に「長居東1~4」と「長居1~4」の、それぞれ一部となり、現在に至っています。



● 東住吉区の町境界にある二つの霊園


 東住吉区の「長居公園」と「山坂」との境界に、旧来の地名を踏襲した霊園が隣接して設置されています。

 「東長居霊園」と「松原霊園」です。

 「東長居」は上記の通り。「山坂」は、江戸期に開発された「松原新田」(松原)の一部を踏襲しています。


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 この異なる住所表記と外壁の中に、「長居公園」の「東長居霊園」と、「山坂5丁目」の「松原霊園」がありますが、横から見る限り、中には仕切りが見られません。


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                  < 東長居霊園管理委員会の表示板


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                    < 東長居霊園入口にある「六地蔵尊」

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                < 松原霊園保存会の表示板



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の11月11日の頁は、半世紀にわたる大和川付け替え運動中、大和川の洪水や天井川化など状況が最も悪い時期に、15年間にわたり大坂西町奉行を務めて、3度の大和川付け替え検分を経験し、退任後も幕府の重要職として付け替え検分に携わった「彦坂壱岐守」が、1662年に西町奉行に就任した日と捉えています。