● 大正橋交差点の北側にある「岩松橋」
(「大正通」の「尻無川」に架かる橋。大阪市西区千代崎3~大正区三軒家西1)
< 「尻無川河川広場」から望む「岩松橋」。左手に「尻無川」が流れる。 >
現在の西区千代崎は、江戸時代の安永2年(1773)年頃に九条村に続く芦原を開発した「岩崎新田」がルーツ。橋が架けられた大正期にあった、「岩崎町」と「松島町」の名をとって「岩松橋」と名付けられました。
「尻無川」(岩崎運河)の入口に架かる「岩松橋」。長さ66.5m、幅35m。
大正9(1920)年に開削された木津川と尻無川を結ぶ「岩崎運河」に、大正11(1922)年に架設され、その後、大正通の拡幅に伴い、橋の幅員も広げられました。
その下流300mには「岩崎橋」が、また、大正橋交差点のすぐ東には「大正橋」があります。
鉄製アーチは橋の両側ではなく、中央分離帯に相当する部分に設置されています。
橋の中央分離帯のアーチの上に、鳥の姿がみえます。
すぐ横を流れる「木津川」の「大阪ドーム千代崎港」近くで、群れをなしている「ユリカモメ」です。
● 木津川のユリカモメ
写真の奥、「大正橋」東詰(左側)にある「津波記」の恐ろしさを感じさせない、長閑な光景です。
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