中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


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 ● 大阪城天守閣北側で焼け土など発掘。「大坂(石山)本願寺」跡?(2009年)


      
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           < 以上、上町台地最北端・大坂城とその周辺 平成10(1998)年頃、撮影 >



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       < 上町台地最北端に「大坂石山別院」を開いた「蓮如」の像 


 天下統一を狙う「織田信長」が、本願寺勢力を一掃すべく、当時のその拠点であった「大坂(石山)本願寺」を10年以上にわたって攻めましたが、堅牢で難攻不落の城郭ともいえる寺院を落とせないまま、1580年の和解によって明け渡されました。(石山合戦)

 しかし、その直後に原因不明の火災で焼失。のち、その跡地・堀の中に、豊臣秀吉が大坂城を建てたとみられていますが、旧寺院の建物跡の遺構は見つかっていません。

 その炎上に結びつくと思われる遺物が、大阪城天守閣の北側で平成21(2009)年に発掘され、今日・10月30日に発表されました。


 この寺院は、浄土真宗中興の祖と呼ばれる「蓮如(れんにょ)」が、上町台地の最北端に、1496年、「大坂石山別院」として開いたのが始まりです。

 上町台地東側の「河内湖」もかなり狭まり、台地の北側で、「淀川」と「大和川」が、初めて川として繋がって間もない頃と思われます。



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の10月30日の頁も、同じ話題です。