中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 発達した胸(むな)ビレで水をたたき、ジャンプすることで知られる「ザトウクジラ(座頭鯨)」。

 わが国で初めてというその化石が、大阪市中央区のオフィス街のど真ん中から出土し、平成元(1989)年の今日・10月20日までに、東住吉区の「大阪市立自然史博物館」に寄贈されたことが、報じられました。


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 出土したのは、この年の3月。その後の調査で「ザトウクジラ」と判明しました。

 場所は、大阪城天守閣の真西、堺筋と御堂筋に挟まれた大阪市の中心街。

 その御堂筋寄り、中央区平野町(ひらのまち)1丁目の、北陸銀行ビルの工事現場。

 地下6mの「難波累層(なんばるいそう)」と呼ばれる、6,000年前の砂の層で、見つかりました。


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 体調の三分の一ほどもあるという胸ビレ。出土したのは、その右の根元にある扇型の「肩甲骨(けんこうこつ)」から、「上腕骨(じょうわんこつ)」「撓骨(とうこつ)」までの3片で、合わせて2.9mありました。

 その先には、小さな骨が繋がっています。


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   < 河内湾Ⅰの時代7000~6000年前 >    < 難波りんご著『私たちの阿倍野』より 


 約6,000年前の大阪。当時、「上町台地(うえまちだいち)」の西側まで大阪湾がせまっており、ザトウクジラの化石が見つかった平野町辺りは、その大阪湾の海の底でした。

 この辺りの市内では、過去に10例ほどのクジラ化石が出土していますが、ザトウクジラは初めてです。

 今の「大阪駅」も「難波駅」も、海の底でした。

 台地の西側に砂が堆積し、御堂筋辺りが海岸線になるのは、奈良時代頃と推定されています。


 上町台地の東側にも入海である「河内湾」が広がっていたため、そこでも5つ程度の出土例があります。

 東大阪市布市町(ぬのいちちょう)の「マッコウクジラ」、大阪市東成(ひがしなり)区の「ミンククジラ」、鶴見区での「ナガスクジラ」などの、それぞれ骨の一部が確認されています。


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 「ザトウクジラ」の化石が寄贈された、長居植物園内の「大阪市立自然史博物館」の入口前の屋根付き広場には、「ザトウクジラ」が見つかった翌・平成2(1990)年に、堺泉北港に流れついた「ナガスクジラ」の骨格標本が吊るされています。


 この標本と、堺の「鯨まつり」については、→ http://ameblo.jp/imagome/day-20110724.html



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の10月20日の頁も同じ話題です。