中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

   < ガイド:難波りんごさん >            < サポーター:長谷川信正さん 


 去る10月2日(日)の「大阪あそ歩~阿倍野ルート」のレポート再開、5回目です。

 大阪市阿倍野区王寺町と別れ、再び「あべの筋」の西側に戻り、阿倍野の地名のルーツを探ります。


 「八軒家浜から6.8km」の道標(みちしるべ)がある、「あびこ筋」と「松虫通」の「松虫交差点」。

 道標では、「阿倍野橋交差点」から800m南ということになります。

 その西南角のわずか西、ここから「熊野街道」は「あべの筋」から徐々に離れていきます。


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 この街道が通る町は、「あべの筋」と西方の「阪堺電軌上町線」に挟まれている「阿倍野元町」。

 ここより北、松虫駅を頂点に、細長い三角形のように、町は少しずつ広がっています。

 街道の入口には、この日に見る二つ目の「来歴碑」がありました。


 それには、「江戸時代、ここから終点となる熊野本宮までの道路には、一里塚(いちりづか)や九十九王子をまつった社が置かれ、蟻の熊野詣と形容されるほど賑わったという」とあります。

 「九十九社とは、正確な数を表すのではなく、それだけ沢山あったという意味です」と難波さん。

 「長崎の九十九島」 「浪花の八百八橋」などと同じ表現なのでしょう。



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 「八軒家浜から7.0キロ」の道標が、郵便局の前にありました。

 郵便局の名を確かめれば、「阿倍野保名(やすな)郵便局」。


 ム、「保名」? 王寺町にあったビリヤードのお店と同じ名前。

 そう言えば、あのお店、昔の郵便局の建屋を移したものと聞いたことがあります。

 この郵便局と関係があるのでしょうか?


 そして、お隣の空き地は、「保名湯」というお風呂屋さんがあった敷地の一部とか・・・。

 となると、「保名」って古い地名? それとも・・・? 新たな疑問が出てきました。



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 「保名郵便局」から更に100m。「安倍晴明生誕伝承地」の「安倍晴明神社」に着きました。

 「阿倍晴明(あべ・せいめい)は、平安時代の「陰陽師(おんみょうじ)」として活躍したひと。

 名字と名の間に「の」を入れる習慣に倣えば、「あべのせいめい」となります。

 「陰陽師」とは後世の占い師ですが、当時は宮中の陰陽寮に所属して、占い・地相(土地の吉凶判断)などを司った重要職であったようです。


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 境内に入ると、すぐ右手には、江戸時代に建立された「安倍晴明誕生地」の石碑、晴明の産湯を汲んだといわれる「安倍清明産湯井の跡」や、七夕の「句碑」が並んでいます。

 奥に進んだ、安倍清明の像の所で、難波さんからお話を伺いました。


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 「保名」とは、何と、伝説上の晴明の父親の名前でした。

 その保名が、「信太(しのだ)の森」(現・和泉市)で、狩りに追われる白狐(しろきつね)を助けましたが、その時に負った傷が元で床に伏してしまいました。

 白狐は、「葛乃葉」という名の女性に姿を変え、恩返しにと保名を看病。

 やがて、病の癒えた保名と葛乃葉は結婚、晴明が誕生したと伝わっているそうです。


 これが、「占い事は神の如し」と言われるほどの、人間離れした晴明の類いまれな霊力は、白狐だと伝わる母親から受け継いだものとする、「葛乃葉伝説」ということでした。

 安倍晴明像の足元には、その白狐も共に台座に載っています。


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 「安倍晴明公像」の手前には、白狐が飛び跳ねる姿の「葛乃葉霊狐飛来像」がありました。

 何故か黒狐です。

 傍らにあるのは、阿倍王子神社所蔵の「葛乃葉姫図」の碑です。


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 「安倍晴明神社」の創建は、晴明没年、寛弘(かんこう)2年(1005年)の2年後と伝わっています。

 等身大の銅像は、晴明の千回忌を記念して、平成17(2005)年に建立されました。

 次は「阿倍王子神社」に向かいます。



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 途中、「五代目桂文枝(かつら・ぶんし)之墓所」と書かれた石碑が目に入りました。

 薬師如来を本尊とする曹洞宗のお寺、「印山寺」(阿倍野元町9)の山門前です。


 「五代目・桂文枝」は、平成17(2004)年3月に他界した、上方落語界の大御所。

 その死の半年前の9月2日に国立文楽劇場で開かれた「五代目桂文枝独演会」。そこで演じた、熊野の世界遺産登録記念の創作落語「熊野詣」は、題材として落語では初めてのものとして、注目を浴びました。


    「 昔から、伊勢に七度、熊野に三度、てなことを申しまして、お伊勢参り同様、

     熊野詣も大変盛んやったそうです。 」


 最近のニュースでは、「いらっしゃい!」の桂三枝が、来年・平成24(2012)年7月16日、69歳の誕生日に、この上方落語の大名跡である「文枝」を襲名することが決まりました。



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 先の「熊野かいどう来歴碑」にあった、紀州熊野大社の末社となる王子社の一つ「阿倍王子神社」です。

 難波さんは、「大阪府下で、旧地に現存している唯一の王子社」であることを強調されていました。


 「阿倍野」の地名の由来である安倍一族の氏神社ですが、一説に、仁徳天皇が夢に見た、熊野三山の神遣いの三本の足のある鳥「やたがらす」と同じものが、当地にいたため、創建したとも伝わっています。

 当神社には、その「やたがらす」が祀られていて、熊野まで行けない人は、ここで願い事をすれば、三山まで届けてもらえるとのことでした。


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 何本も立つ大きなクスノキなどの大木と、立派な本殿など、凛とした空気が漂います。

 東側は建物を挟んで「あべの筋」に面していますが、日曜日ということもあってか、そうした喧騒ぶりは、全く感じません。


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 本殿の右手には、晴明の母とされる葛乃葉を祀った「葛乃葉稲荷神社も」あります。


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 熊野三山に参れば授かる「午王(ごおう)」と呼ばれる、墨や朱の宝印。

 何羽ものカラスが集まって形作られた「カラス文字」と「宝珠(ほうしゅ)」が描かれた護符(ごふ)です。

 かつては、嘆願をする時など、神仏に誓って記載した内容に間違いがないことを示す「起請文(きしょうぶん)」にも使われていました。

 わが家にも、元禄12年(1699年)、甚兵衛らがそれに署名をしている控え文書が残っています。


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 この午王も、この神社で授かることが出来たのだろうか?また疑問がわいてきました。

 「阿倍野コース探索」もいよいよ大詰め。次回がゴールです。



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の10月9日の頁は、大和川付け替え工事の当初の御手伝大名だった、本多忠国の城「姫路城」の、平成の大改修が、平成21(2009)年に始まった日として捉えています。