中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記

< ガイド:難波りんごさん >       < サポーター:長谷川信正さん 


 去る10月2日(日)の「大阪あそ歩~阿倍野ルート」の4回目のレポートです。

 今回は、現代の阿倍野の魅力に触れるスポットです。


 「聖天山」南の「松虫通(まつむしどおり)」から「あべの筋」に出るまでに、歌碑がありました。

 大阪では、「通」は東西、「筋」は南北の道を指すのが基本であることは、今回のコースを回る最初にも、難波さんからお話があった通りです。 (三津寺筋や八幡筋などの例外はあるようですが・・)


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            百千の

    百千の若葉もみぢし 野の頸(つよ)き琴は鳴り出づ

    哀しみの熟れゆくさまは 酸(す)き木の実

    甘くかもされて照るに似たらん

    われ秋の太陽に謝す   

                          伊東静雄


 昭和前期に活躍した詩人、「伊東静雄(いとう・しずお)」の文学碑です。

 明治39(1906)年、長崎県諫早(いさはや)の生まれで、佐賀高校から京都帝国大学文学科を卒業後、「大阪府立住吉中学」(現・住吉高校)の教諭となりました。戦後の昭和23(1948)年に「阿倍野高校」に移り、昭和28(1953)年、48歳でなくなるまで、生涯教職を離れなかったようです。


 一方で、学生時代から詩作を始め、昭和10(1935)年の処女詩集『わがひとに与ふる哀歌』は、萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう)が絶賛、一気に名声を高め、生前、第4詩集までを刊行しています。

 傍らの説明板には、「浪漫的かつ日本的な叙事詩に耽美の極致を示した。この詩は特に円熟した重厚な作風をみせている」とありました。

 

 偉大な詩人で、この近くの学校の先生であった伊東静雄も、きっとこの付近の散策を好んだことでしょう。

 因みに、今回のガイド役の難波りんごさんも、「住吉高校」から神戸女学院文学部に進まれた才媛です。



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 有名な「松虫塚」を、チラっとみました。

 樹齢800年というエノキの神木も伐採するという道路計画にも立ちはだかった住民運動で、保存され続けているそうです。頑張ってくれた住民のみなさん、「おおきに、おおきに」。


 と言うことで、「あべの筋」を渡って、ひとつ東の「王寺町1丁目商店会」にやってきました。


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 千成瓢箪や澪つくしなどの大阪を象徴する図柄を、周囲に浮き彫りした中央に、「おおきに・かんにん・いちびり」などの短い大阪弁を焼きごてで押した、素朴な中に何とも言えぬ味わい・温かみを感じる「せんべい」。

 一枚一枚、心を込めて手作りされいる「浪花ことばせんべい」の製造直売店、「はやし製菓本舗」です。


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 胡坐で背筋をピンと伸ばして、黙々と焼き続けられる2代目店主の「林数行(はやし・かずゆき)」さん。

 開発された父親の味を、ひたすら守り続けておられます。

 難波さんの計らいで、気軽に撮影に応じて頂きましたが、「めっちゃ」緊張しました。


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 「ことばせんべい」の他にも、同じく焼きごてで野球少年のイラストを描いた「野球」、大阪の色々な象徴の形をしたプチサイズの「大阪名所」、香ばしいピーナッツが入った「金賞鬼松」などもあります。
 誰もが迷う「大阪みやげ」に最適ですが、表の看板やこの店内にも表示されているように、「手造専門店」。

 出来れば10日位前には予約された方がいいでしょう。


    「 はやし製菓本舗  阿倍野区王子町1-7-11  06-6622-5372 



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 次は、少しだけ「あべの筋」寄りに戻って、この方がオーナーのお店を訪ねます。


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 「外壁は蔦(つた)に囲われています。春には桜草通りと言われ、わざわざこの路地を通って行かれます。四季折々花が咲き路地をにぎわせています。。初めての方には時々入りにくいと言われますが、どうぞお気軽にお入りください。」・・・このお店のホームページからの引用です。


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 小さなビリヤード場でもあり、カフェでもあるお店の名前は、「ビリヤード保名(やすな)倶楽部」。

 知る人ぞ知る「玉撞き屋の千代さん」のお店。

 オーナーの「南川千代(みなみかわ・ちよ)さん」。95歳。自立がモットー、まだまだお元気です。


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 参加者の一人が、娘さんの「平田範子(ひらた・のりこ)」さんに、手ほどきを受けているのを、にこやかに見られています。ここまでは椅子での写真ばかりですが、一人で立てないわけじゃないんです。


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 この日の千代さんのお姿を見てもらった上で、難波さんの資料にある、「南川泰三(みなみかわ・やすぞう)」の10年程前の著書『浪花の女ハスラー・玉撞き屋の千代さん』の、序章の書き出しを引用しましょう。


  南大阪で最も古い玉撞き屋が「安名倶楽部」である。

  間もなく創業六十年を迎えるこの店のマダムの名は南川千代、八十四歳。

  千代さんと呼ばれている。

  千代さんは現役のハスラーとして、今も客を相手に玉を撞いている。

  四つ玉、ポケット、スリークション、競技の種類はなんでもござれ。


 千代さんの半生を描いたこの作品は、浜木綿子主演で東京芸術劇場において舞台化されました。


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 西田辺の和風料理「旬の酒肴菜(しゅんのさかな)・高はし」の店主・高橋浩文さんは、阿倍野高校の出身。

 突然、違う話になったみたいですが、実は、25年ほど前の彼が高校2~3年の時、ビリヤードがブームとなって、よくこちらに来たそうです。

 多くの同級生が他の店を選んだけれど、真面目な彼と友達は、変な誘惑もなく安心してプレーが出来て、しかも美味しいコーヒーも味わえるとあって、2~3人で週1のペースで1年ほど通ったとか。

 高校生は珍しく、千代さんには可愛がってもらったことを、今でも忘れないと語ります。


 千代さんの言、「嘘をつかずに玉をつけ」の額や、ピースの缶の装飾、その他昭和の香りプンプンの室内。

 名残はつきませんが、平田さんの外までの見送りを背に、再び「熊野街道」に向かいます。


  「 ビリヤード保名倶楽部  阿倍野区王子町1-11-28  06-6622-6733 



 尚、初回のレポートでも書きましたが、9月に難波さんが出演された、NHKテレビ「ぐるっと関西おひるまえ」を織り混ぜてアップされている、難波さんのご友人・マドンナさんのブログ「マドンナのナイショ話」を、是非、合わせてご覧下さい。

 バックナンバー9月の17日には「松虫塚」などが、18日に「はやし製菓本舗」、19日に「ビリヤード保名倶楽部」が、沢山の見事な写真と解説で紹介されています。



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の10月7日の頁は、「川中新田会所」に住んだ河内屋の2代目が、1762年のこの日に他界、その後子供の一人が会所を継ぎ、もう一人が今米村に分家をつくったことを採り上げています。