中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


  「鴻池二番街」。東大阪市の「JR鴻池新田駅」から、住道(すみのどう)・四条畷(しじょうなわて)方面への、JR高架沿いの商店街です。

 

 昨日9月28日は、「鴻池新田会所」が平成9(1997)年に初めて一般公開された日として、それに至る経緯や、会所の南側の正面入り口への写真などを掲載しました。


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 会所南側(表側)は住宅などが迫っていて、外からは僅かに、入口に当る「冠木門」から、「表長屋門」や土塀の一部を垣間見る程度しか出来ませんが、裏側に当るこの「二番街」を直進すると、モニュメントなどもあって、その雰囲気を感じ取ることが出来ます。


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 「二番街」の奥右手に会所の木々が見えますが、それまでは両側に店舗が並んでいます。

 右手にある、お地蔵さんの先からいよいよ会所になりますが、左手の高架下の店舗は続きます。

 
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 このピンクの店構え、私はよく見る光景ですが、それはさておき、右手を見ましょう。


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 会所地の裏側に当る「乾蔵」や「裏長屋門」のある所です。

 会所の建設当初にはなく、時代を経て建てられたもののようですが、昔は茅葺だったようです。


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 「裏長屋門」。閉められた板戸には、「ここからは入場できません」と書かれています。

 その先、土塀が少しへこんだ敷地に「史跡 鴻池新田会所跡」の石柱が見えました。

 彼岸花が綺麗ですが、携帯カメラでは再現できません(・・・カメラのせいにするな!)。


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 鶴見緑地での「花の万博」を控え、平成元(1989)年に選定された「大阪みどりの百選」の一つに「鴻池新田会所」がなったモニュメントもあります。


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 最後にあるのが、昭和55(1980)年に建てられた「鴻池新田会所之碑」。
 大和川の付け替えと、それに至った経緯、その後の新田開発。鴻池新田と会所の意義など、簡潔に要領よく述べられています。


 ただ、当時はそれが通説となっていただけに、仕方のないことですが、付け替え運動の中心人物としての「今米村庄屋、九兵衛・甚兵衛父子」の名前には大きな疑義があります。

 この碑文以降に、子孫である私が調べたところでは、甚兵衛の父が生存中には、付け替え運動が始まっていませんし、父の通称も確かなものは伝わっていません。

 また、「今米村庄屋・九兵衛」が確認できるのは、甚兵衛の息子の代が初めてで、それ以後、制度のなくなる明治初頭まで代々が名乗っています。

 尚、甚兵衛の息子・九兵衛は、父の普請御用の際も、それを助けて付け替え工事に参画しています。



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 会所の東側、「庭園」や「春日社」のある方、南東隅から見た光景です。

 この南北と、ここからの南側の東西には「周濠」が残っています。


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 会所西側の住宅街などを抜けて、再び「二番街」に戻ります。

 今度の日曜、10月2日は、東大阪市の市長と市議のダブル選。

 大阪市内では見られない、大きな掲示板に沢山のポスターが貼られていました。


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 先程のこのお店。実は、アメブロのブロガーさんがおられるお店でした。

 ブログ名は「アキュ ミムラ らんらん ブログ」。

 お店や健康に関する情報の他に、地域のイベントや楽しいスポットなども紹介されています。

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 高架の北側に回ると、左の車が少し邪魔していますが、その向うに会所が見えます。


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 これで、帰ろうかと思いましたが、折角の高架下なので、JRの電車が通過するのを待ちました。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日の9月29日の頁は、安政6年(1859年)のこの日に、中島広足(なかじま・ひろたり)と中九兵衛重信が、喜里川(きりがわ)村の中西多豆伎(なかにし・たずき)宅を訪れた紀行文を採り上げています。