現在では通年公開されている、東大阪市鴻池元町の「鴻池新田会所」。
初めて公開されたのが、平成9(1997)年の今日・9月28日に始まった秋季一般公開でした。
「鴻池新田会所は、大和川付け替え後に、大坂今橋の両替商である鴻池屋善右衛門が、「新開池(しんひらきいけ・しんかいいけ)の大半を開発した新田の管理事務所ですが、建設された、宝永4年(1707年)には、まだ「鴻池新田」という名前は付いていませんでした。
その名が付されたのは、翌・宝永5年(1708)年の検地の際でした。
明治になって本来の業務は無くなり、他の多くの会所が姿を消していった中で、100年以上にわたって会所や敷地が残り、12棟の建物・庭園・周濠(しゅうごう)などが伝え続けられました。
昭和51(1976)年には敷地の大半が「国史跡」に、昭和55(1980)年には本屋(ほんや)・座敷棟など6棟が「国重要文化財」に指定されましたが、老朽化が進んでいました。
東大阪市では昭和62(1987)年から10年をかけて、解体修理工事を行い、建築当時の姿を蘇らせ、一般公開が出来るようになりました。
「鴻池新田会所の」の最寄駅は、「JR学研都市線」の「鴻池新田」駅です。
他の多くの新田と同じく、地名としては無くなりましたが、駅名として生き残りました。
駅改札口を出て左、止まっているタクシーに隠れて見えにくく、また傍に行きにくいですが、昔懐かしい駅のホームの表示板の形をした木製の「鴻池新田駅と片町線の沿革」と題する説明板があります。
中甚兵衛の名が出てきたり、興味深い内容が綴られていますが、字が読めなくなっているところがあるのと、大和川付け替えが「元禄16年(1703)」となっているのが残念です。
正しくは、元禄17・宝永1年(1704)年です。
会所の方は、改札を出て右の通りの左にある信号に立つと、もう商店街の向うに会所の木々が見えます。
ただ、この道を真っすぐ進めば、会所の裏側になります。
中に入れる表門へは、裏側から大回りして行くより、途中から店舗や住宅が立ち並ぶ道を通り抜ける方が早道です。いずれにしても、目的の位置が分かりやすく標識もありますので、辿り着きやすいです。
明日も、会所周りを採り上げる予定です。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の9月28日の頁も、「鴻池新田会所」の一般公開に関する話題です。