中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 全長14.3kmに及ぶ宝永元年(1704)年の「大和川付け替え工事」で、「公儀橋」として唯一架橋された「大和橋」。付け替え工事も終盤にさしかかった、9月26日に出来あがりました。

 この架橋で、「紀州街道」(住吉街道)という大動脈の、新川工事で寸断されていた摂州住吉郡の「安立町(あんりゅうちょう)」と「堺大道」を結ぶ直線区間が復活しました。


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 「安立町」は、「紀州街道」の両側に形成された町。

 その部分の「紀州街道」を踏襲しているのが、現在の大阪市住之江(すみのえ)区の商店街の道路です。


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 北側から、アーケードのある商店街も抜けて、更に南へ進みます。


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 この先の大和川堤防へと登る坂道を上がった所に、「大和橋」が架かっています。

 その北詰、下流側には、平成11(1999)年3月に大阪市が設置した「大和橋の碑」の顕彰板があります。


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 その上流側です。

 「大阪市住之江区安立町4-44」と、「堺市堺区並松町30」を結んでいるとあります。

 また、「住吉祭」で、神輿が大和川を渡る際の便宜のための、20段ほどある石の階段状護岸が設置されています。平成18(2006)年に完成。対岸の堺側にも設けられています。


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 もう一度戻って、下流側から「大和橋」を見ます。


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 空を見ていたら・・・・。ヘリコプターが3機。初めての遭遇です。


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 話が脱線したので、江戸期の「大和橋」に戻します。


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   < 大阪歴史博物館パンフ >              < 『府界墨江紀略』 


 初代の「大和橋」の建設には、堺市立図書館蔵の史料に依ると、銀73貫余とあります。金にすると1,220両、今にすると2億4,000万円位とみられます。


 「大和川の付け替え」で、古大和川を運行していた「剣先船(けんさきぶね)」はその航路を失ったため、「木津川」と延長された「十三間堀川」で大坂と結ばれた、「新大和川」が新航路となりました。

 江戸期、通常は水深が浅く、橋はその運行を妨げることになるため、「大和橋」以外の常設橋は造られませんでした。明治になって、この「大和橋」の架け替えの時の「仮橋」の木材を使って、上流部の「東高野街道」に架けられた橋は、「新大和橋」と名付けられています。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の9月26日の頁も、1704年の「大和橋」架橋の話題です。