中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 古大和川である玉櫛川(たまくしがわ)の跡地に立地する、「近鉄大阪線」の「河内山本駅」。

 大阪府八尾(やお)市の山本町(やまもとちょう)の最南端にあります。

 「山本町」は、この辺りの1丁目から、北へ5丁目まであり、それぞれのほぼ中央(駅の東側)を、「府道15号・八尾茨木線」とその西側に沿って「玉串川」が流れています。

 駅北口を出ると、タクシー乗り場やバス停などのある「駅前広場」。

 正面に見える「山本八幡宮」の南側沿いの道を西(左)へ、すなわち「玉串川」と逆の方向に進むと、すぐの所に八尾警察署の「山本駅前交番」に隣接して、児童公園があります。


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                       < 山本町1丁目公園 >


 日曜の朝早くで、子供たちの姿はなく、しばらくして女性が一人、清掃に来られました。

 幹回りの太い大きな木。滑り台・ブランコ・ジャングルジム・・・。藤棚の下にはベンチもあります。

 もう少しすると、賑やかな声が飛び交うのでしょう。

 公園名を記したものは見つけ得ませんでしたが、八尾市のHPで調べると、「山本町1丁目公園」。

 274ある八尾市の都市公園の一つでした。


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 北側の道路沿いが正面入り口のようですが、東側に回ると何やら趣のある通りが、先程の広場に繋がっています。左側(南側)のフェンスには住居の裏側が迫っています。

 この先に石柱がありました。


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  < 山本幼稚園創立の地  小阪合尋常小学校跡地 現山本小学校 >


 先の通路も何か納得という感じです。

 左側面の説明文を参考に、少し調べてみました。


 現在、山本町5丁目の更に北、八尾市山本北2丁目にある「市立山本小学校」。

 設立は明治6(1873)年。玉串川を挟んでこの公園とは逆の位置にあった「山本新田住友会所」内に、河内四十一番小学校」として創設されました。

 その後、「万願寺小学校」「山本小学校」から、明治23(1890)年には「八尾尋常小学校山本分校」と改称すると共に、山本新田に隣接する「小阪合(こざかい)」の地に移転しました。


 更に、明治25(1892)年12月に、中河内郡の「小阪合尋常小学校」に名を改めると共に、当時は小阪合140番地であったこの地に移転。

 そして、昭和8(1933)年の今日・9月22日に、当時は山本601番地であった現在の小学校の位置に、新校舎が落成して移るまで、およそ40年、ここに小学校があったことになります。


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 その跡地に、昭和13(1938)年5月2日に「山本幼稚園」が開設されました。

 この幼稚園もまた、30年ほどの歴史を残して、昭和44(1969)年に「山本小学校」の校地の一角に移転しました。幼稚園・小学校共に「八尾市立」で、所在地も同じ住所表記です。


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 公園の西側に「山本町1丁目1番地」の標識がありました。

 こちらはブロック塀で仕切られていますが、ここがこの辺りの山本町の西端です。

 地図をみると、玉串川の西からは、100m余りあります。山本町の東端までは260m程あるようです。

 その南の隅にも小さな入口がありますが、階段を数段上らねばなりません。


 昔の地名が山本新田の隣村になっていることから、どうやら、天井川となっていた古大和川と、その沿岸の村との土地の高さの差が、整地をしながらも残っているようです。

 因みに古文書では、小阪合村は玉櫛川の川底より1.8m低くなっています。

 また、正確な位置は不明で、この場所ではないかもしれませんが、対岸の万願寺村までの川幅は193m。

 両岸堤防を50mと見ると、ほぼ現在の区画に近いか、若干狭いような気もします。

 いずれにしても、この公園付近に、かつての堤防があったのでしょう。


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 尚、小学校跡地は、推測に過ぎませんが、恐らく、「山本町1丁目公園」に隣接する交番と民家を含む、四方を道に囲まれた一角全体ではないかと思われます。

 最後に、「山本小学校」の校歌の一番です。


     東に信貴(しぎ)の峰高く 西に浪速の海広し

      玉串川の清らなる 心をここに山本校


 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日」の9月22日の頁は、昭和31(1956)年のこの日に、大和川を挟んで郡の異なる、「中河内郡柏原(かしわら)町」と「南河内郡国分(こくぶ)町」が合併して、新しい「中河内郡柏原町」の誕生を認める、大阪府の決定通知が出たことを採り上げています。

 今の柏原市の原型が出来たことになります。