中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 今日は「二百二十日(にひゃくはつか)」。「二百十日(にひゃくとうか)」と並び称せられます。

 「立春」から数えてのこの頃は、早稲(わせ)と晩稲(おくて)の中間期に熟す「中稲(なかて)」の開花期。

 ちょうど、野の草を分けて吹く暴風「野分(のわき)」、今で言う「台風」が襲来する時期に当ることから、古くから農家では厄日(やくび)として、警戒してきました。

 台風襲来の予報もない時代の、知恵だったのでしょう。


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 予報が進んだ今日でも、先日の「台風12号」が、紀伊半島に大きな爪痕を残したのは、ちょうどこの二日の中間。のろのろ台風が、先ず四国にしたのが、212日目でした。
 大和川右岸の氾濫は極めて稀なことですが、明治29(1896)年の今日、二百二十日に、矢田地区の堤防が180mにわたって決壊しています。


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 明治22(1889)年、江戸期からそれまでの、「住道(すんじ)村」・「矢田部(やたべ)村」・「枯木(かれき)村」と、大和川付け替え後に旧西除川(にしよけがわ)を埋め立てて出来た「富田新田(とんだしんでん)」が合併して、「矢田村」が誕生。旧村名を継承した4つの大字を形成しました。


 当初は、「河内国丹北(たんぼく)郡」に属しましたが、明治29(1896)年からは、「大阪府中河内(なかがわち)郡矢田村」に改められました。


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 その年は、7月から8月にかけて、「淀川」や「石川」の決壊が相次いで起きていました。

 そうしたところに、9月11日の夕方から、急に暴風雨が強くなったのです。

 「石川」の本流をはじめ、多くの支流で堤防が決壊したり、橋が流されました。

 大和川でも「矢田村」の堤防が崩れ、枯木・富田新田・住道の3大字の耕地が浸水被害に遭いました。


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 「二百二十日」を前に昨日の夕方、過去の教訓を胸に、こうしたことが起こらないように祈りながら、瓜破(うりわり)の辺りから下流に向けて、矢田地区の大和川堤防を歩いてみました。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の9月11日の頁も、1896年のこの日の「暴風雨で大和川右岸矢田村堤防決壊」を採り上げています。