中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 携帯電話に、デジカメ主体の「ファイバーショット」を使うようになって、フィルムカメラの使用がめっきり減ってしました。それまでは、「Fuji」の文字も捩った印の「富士フイルム」にも、すごく御世話になりました。

 このマークと「FUJIFILM」のロゴが使用されていたのは、昭和55(1980)年1月から平成18(2006)年10月1日までの30年近くでした。


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 昭和9(1934)年1月に、親会社の「大日本セルロイド㈱」の写真フィルム部門が分離独立して設立した「富士写真フイルム㈱」。

 会社設立50周年に当る、昭和59(1984)年に開催された「ロサンゼルスオリンピック」の公式フィルム・公式プリントに選ばれました。

 昭和61(1986)年の、レンズ付きフィルム「写ルンです」は、一世を風靡しました。


 平成18(2006)年、「富士フイルム㈱」となり「富士ゼロックス㈱」と共に、「富士フイルムホールディングス㈱」の傘下にはいり、ロゴも変わりました。


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 元来の「大日本セルロイド㈱」は、大正8(1919)年の9月8日に、「セルロイド」の製造会社が集まって設立されたもの。

 次々に新事業に乗り出し、「ダイセル㈱」の時代を経て、昭和54(1979)年に「ダイセル化学工業㈱」に社名変更、現在は大阪と東京に本社を置く、大手化学品メーカーに成長しました。


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 その本社工場が、近年まで、堺市堺区「鉄砲町(てっぽうちょう)」にありました。

 写真は、「国道26号」にかかる「大和川大橋」の大阪市住吉区側の袂から撮ったものです。

手前の、大和川を斜めに横断しているのが「阪神高速堺線」。その向うに見える鉄橋は対岸近くで高速をくぐっていますが、それが「南海本線」です。

 堺に入った「国道26号」と、「南海本線」の「七道(しちどう)」駅辺りまでは、お互いの間隔を保ちながら南下しますが、その間に挟まれた地区が、写真右手に見える「鉄砲町」です。


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 現在はこのような空き地に 多くあった赤いレンガ造りの建物も、わずか取り残されているだけです。

 一部が、建設が進む、「阪神高速道路6号大和川」のルートに入ったためで、堺で製造されていた赤レンガを使用した、文化財クラスの他の建物も、汚染が判明した土壌の入れ替えで解体されました。


 この地は元々、日本でのセルロイド製造の先駆けをなし、追随する他のメーカーが、第一次世界大戦中には綿火薬の製造に転じる中でも、セルロイドを作り続けた所です。

 勿論、「大日本セルロイド(㈱)」設立8社のメイン会社。

 100年も前の、明治43(1910)年に赤レンガ工場で稼働を始めたということです。


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 昭和30(1955)年頃からの、「塩ビニール」など安価なプラスチックの台頭で生産は減少に転じましたが、永らく、定期券入れ・三角定規・雲形定規・ナイフやスプーンの柄・人形・玩具・ピンポン球・眼鏡枠・鏡枠・櫛・石鹸箱・・・・その他、あらゆるところに使われました。

 私にとっては、何と言っても、「青い目をしたお人形は、アメリカ生まれのセルロイド・・・」の歌が、「セルロイド」という言葉の懐かしい響きと共に、今も心の片隅に残っています。



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』んp9月8日の頁も、大正8年のこの日の「大日本セルロイド㈱」設立の話題ですが、富士フイルム」については、ほとんど触れていません。