大型の「台風12号」が接近中です。
日本の台風は、発生番号順に通し番号が付されていますが、始まったのは昭和28(1953)年。
その以前、アメリカ軍の占領下にあった昭和20(1945)年から昭和27(1952)年までは、アメリカの慣習に従って、台風の呼称にはアメリカ女性の名が付されていました。
そして、昭和25(1950)年8月3日、四国・近畿を襲ったのが、「ジェーン台風」でした。
この日の朝、9時前に「室戸岬」付近を通過、その後、「淡路島」の東端から午後2時前に「神戸」付近に上陸し、兵庫県東部を縦断、京都の「舞鶴」から「若狭湾」に抜けたのが午後2時半頃でした。
大阪にとっては、まさに最悪のコースでした。暴風の継続時間は7時間に及びました。
大阪府の死者・行方不明256人、建物の全半壊・流失7万戸、田畑被害1万haなど、昭和9(1934)年以来の大被害となりました。
その最大要因は、満潮と重なったことによる「高潮」でした。
大阪港では潮位が4mに達し、大和川河口の両岸でも、高潮による浸水が2m以上に及びました。
埋立地の臨海工業地帯全域を含め、大阪市内の21%が浸水被害に遭いました。
また、戦後まもない頃で、復興途上にあったことによる人的要因も、被害を大きくしました。
防災・防潮対策の不備や、建物の脆弱(ぜいじゃく)さ、などです。
加えて、戦前から進んでいた「地盤沈下」の影響も見逃せません。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の9月3日の頁も、「ジェーン台風襲来、高潮被害(1950)」を採り上げています。