中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記 中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 中甚兵衛の子・中九兵衛が建てた、父と母の法名「乗久(じょうきゅう)・妙春(みょうしゅん)」を正面に刻んだお墓が、京都・東山の「大谷本廟(おおたに・ほんびょう)」の墓地に伝わっています。


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 京都・鴨川(かもがわ)に架かる「五条大橋」。今は、移設されていますが、近年まで、橋の西側の中央分離帯に「弁慶・牛若丸」の像がありました。

 橋の東側には、明治43(1910)年に、当時の「京阪本線」の京都側の終着駅として開業した「五条駅」があります。これもまた、近年に、「清水(きよみず)五条駅」と名前が変わっています。


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 観光客の便を考え、「清水寺(きよみずでら)」の最寄駅であることを明確にするために、平成20(2008)年10月19日から、「五条駅」から「清水五条駅」に改称されました。

 同時に、「祇園(ぎおん)」の中心に位置することから、「四条駅」が「祇園四条駅」に、「平安神宮」に近いことから、「丸太町(まるたまち)駅」は「神宮丸太町」に改められています。

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 「清水五条駅」から東の「五条通」は、東山に通じる緩やかな上り坂で、「五条坂」と呼ばれています。

 「本願寺・大谷本廟」や「清水寺」へと続くこの道は、春・秋のお彼岸や、このお盆の時期は、車や人通りで、車道も歩道も溢れます。


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 本廟北門を出てすぐにある「山口花店」の前の坂道を登って、本廟裏手から清水寺にかけて広がる「西大谷墓地」へ向かいます。浄土真宗本願寺派(西)の墓地です。


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 本廟の石垣と塀に沿って進みますが、それが途切れる所が左上の写真です。

 このまま、真っすぐ行けば、広大な墓地を経て清水寺に達しますが、ここで塀に沿って右に折れ、すぐまた左に道をとり、右上に見える丸いお墓を目標に進みます。そこを右に入った所に甚兵衛のお墓があります。


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 先程の清水寺への道から、甚兵衛のお墓のある付近を写したものです。

 青い服を着た人が歩いて来た方向に進んで、その横に見える丸いお墓の所を、この写真では、斜め左に進むわけです。傍らに石柱が建った墓の裏手に辿り着きます。

 石柱の表側には、「中甚兵衛墓所」と彫られていますが、横に番号が付されています。


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 尚、「中甚兵衛墓所」の「石柱」は、昭和年代になっても子孫が生存し、無縁でないことを示すために、父・敬三が建てたもので、「花立て」にも「敬三建立」とあり、私の生まれた「昭和十七年」の年号が見えます。

 また、正面に「釈・乗久・妙春」とある上石は、昭和60(1985)年に母・冬子が立て替えたものです。

 以前の上石は、日を改めて見ていただこうと思っています。


 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月13日の頁は、この日が例祭日の、和泉国一之宮「大鳥(おおとり)大社」の話題です。


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