中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 感動を呼ぶ熱戦が繰り広げられている、「甲子園球場」。

 大会3日目の今日の第4試合に、大阪代表として初出場するのは、「東大阪大柏原高校」です。

 大和川の付け替え地点近く。新旧大和川の中間点に位置する高校ですが、大阪でも、耳新しい校名ですので、その校名の変遷などの歴史を、少し調べてみました。


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 学校法人「村上学園」が運営する学校の一つですが、学園のそもそもの始まりは、昭和15(1940)年12月に設立された、「布施(ふせ)高等女学校」で、70年の歴史があります。

 学制が改革された昭和24(1949)年に「布施女子高等学校」に、昭和42(1967)年に「東大阪高等学校」に名前がそれぞれ改められ、更に、平成14(2002)年には、「敬愛女子高等学校」となりました。


 所在地は、東大阪市の西部、西堤学園町3丁目で、旧大和川の「久宝寺川」と「菱江川」の間を流れていた「楠根(くすね)川」、今の「第二寝屋川」の左岸に位置します。

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 その敷地内に、昭和40(1965)年に発足したのが、「布施女子短期大学」で、高校と同じく昭和42年に「東大阪短期大学」に改称。平成13(2001)年から男子を受け入れ、共学となりました。

 そして、平成15(2003)年。幼稚園の先生や保育士などの養成を目的とした、全国で初めての「こども学部」を擁する「東大阪大学」を設立。上記「短大」は、「東大阪大学短期大学部」に変更されました。


 先の「敬愛女子高」もまた、平成18(2006)年の男女共学への移行と合わせ、「東大阪大学敬愛高等学校」と改称されています。


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 そうした関連高として、柏原(かしわら)市に誕生したのが、今回の「第93回全国高等学校野球選手権大会」に初出場する、「東大阪大柏原」校の前身。

 女子校として、昭和38(1963)年に創立した、「柏原女子高等学校」です。

 すぐ、その翌・昭和39(1964)年に男女共学となり、校名も「柏原高等学校」に変更。

 その後、女子の募集を止め、昭和45(1970)年から現在の男子校となりました。


 そして、敬愛高と同様に、平成18(2006)年、「東大阪大学柏原高等学校」と改称されています。

 校名を改めて、まだ5年。その名は一気に全国に知られるに至りました。


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 学校の所在地は、柏原市本郷5丁目。

 「八尾空港」の南東、柏原市の最も西の端に位置し、すぐ北と西は八尾(やお)市、南も大和川の北に張り出している藤井寺市川北が迫っています。

 付け替え地点を頂点とした、大和川と長瀬川(古大和川の一部)の三角形の底辺の、ちょうど真ん中辺りという感じです。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月8日の頁は、四条畷市の「蔀屋(しとみや)北遺跡』で、上記の校名改称と同じ・平成18(2006)年に、古墳時代の馬具3点セットが見つかり、この日に発表されたことに関する話題です。