中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪の3大花火大会といえば、「天神祭奉納花火・水都祭」・「PL花火芸術」と、8月の第1土曜の今日行なわれる、「なにわ淀川花火大会」でしょう。

 永らく使われていた「平成淀川花火大会」の方が、名称としては馴染み深いかもしれません。


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 「水都祭」が旧淀川である「大川」で開かれるのに対して、こちらは暫く新淀川と呼ばれていた、今の「淀川」の、右岸は大阪市淀川区と西淀川区、左岸は北区と福島区にわたる河川敷が会場。

 新御堂筋の「新淀川大橋」から、下流の国道2号線の「淀川大橋」の区間です。


 「阪急京都・宝塚・神戸線」と「JR神戸・宝塚・東西線」、更に下流すぐ傍を「阪神本線」が通っています。

 阪急の「十三(じゅうそう)」・「南方(みなみかた)」や、地下鉄御堂筋線の「西中島南方」などが最寄駅です。

 花火の打ち上げ時間、安全のためか、乗客へのサービスか・・、徐行運転で鉄橋を通過します。


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 古大和川が流れ込んでいた「淀川」は、今の「大川」。

 300余年前の1704年、大和川の付け替えで、本流は堺へ向かいましたが、現在も、大和川の水を引く「長瀬川」や「平野川」が、第二寝屋川や寝屋川となって、大川に流れ込んでいます。


 一方、付け替え当時は「長柄(ながら)川」とも呼ばれた、「中津(なかつ)川」の湾曲した流れの一部を利用して、川幅の広い一直線の流れとして開削されたのが、今の淀川です。

 その起点(新旧淀川の分岐点)、「毛馬閘門(けまのこうもん)」で、改修工事の竣工式が行なわれたのは、今から100余年前の明治42(1909)年6月1日のことでした。


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 大和川の付け替え運動は、農民が主役でしたが、淀川の改修工事を国に陳情し、実現に奔走したのは、大阪の府会議員でした。

 現在の大阪市城東区・鶴見区に相当する放出(はなてん)地区選出の、「大橋房太郎」と言う人です。
 その体格や精力的な行動から、「放出の太閤(たいこう)」や「治水翁(ちすいおう)」と尊称されています。


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 さて、「なにわ淀川花火大会」。元々は、淀川区の十三(じゅうそう)地区の「十三どんとこい祭り」が母体で、平成元(1989)年に、市民のボランティア運営で、「平成淀川花火大会」と衣替えしてスタートしたものです。


 阪神大震災の年も自粛せず、多くの人を元気づけ、今年で23回目を迎えています。

 徐々に支援の輪も広がり、新たな後援を得た第18回より、大阪の花火大会のイメージの強い名称に改称。

 今年のテーマは勿論、「なにわの元気を花火にのせて がんばろう日本!」。

 枚方市内の中学の同級生だったメンバーで構成するバンド、「Dear Lovinng」が唄う今年のイメージソング「おまえがええねん」も好評のようです。


 このところ大気が不安定で、激しいにわか雨に襲われる日が続いていますが、今日はきっと天候にも恵まれ、バージョンアップされた花火が、もやもやを吹き飛ばし、川面までも美しい色に映えることでしょう。


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 尚、淀川・大阪城・ディズニーランドでの花火の写真展を、地下鉄御堂筋線西田辺駅南東近くのイタリヤ料理「イルマーニ」さんで行なっています。


大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月6日の頁は、1740年のこの日に堺の大和川左岸が溢れ、「妙国寺」の宝庫が破壊された日として捉え、同寺境内の大蘇鉄の逸話などを記しています。