中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 東大阪市吉原(よしはら)にある、浄土真宗本願寺派の「好月山西光寺(さいこうじ)」。

 現在の本堂などは、平成7(1995)年の桜の咲く頃に、修復落慶法要が行なわれたものです。


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 この地に道場が開かれたのは、永正(えいしょう)6年・1509年の8月のことですから、500年以上が経過しています。

 開基「正善」は、近江源氏佐々木氏の一族・佐々木重綱で、同郷の中家が住む今米の近くに移り住み、名を藤井弥惣太と改めて、摂州中嶋の「西光寺」(のちの定専坊)の門徒となり、道場を開きました。

 時を経て、本堂の修復、撞鐘堂の再建や撞鐘の鋳造が必要となりました。

 中甚兵衛の没後すぐ、嫡子の中九兵衛(なか・くへえ)が、一切を寄進しています。

 享保18年(1733年)のことでした。


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 上の2枚の写真は、昭和50(1975)年の撮影です。

 享保改修から260余年を経て、老朽化に心を痛めた前住職の提案で実現したのが、現在の姿です。

 前住職は、本堂大屋根の新しい瓦の葺き終わりを見届け、前年9月12日に往生されました。

 

 平成7年4月8日は、本堂修復落慶法要と合わせ、住職継承奉告法要も営まれました。

 現住職は、第18代目の藤井教行氏です。


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 修復前の本堂の鴨居の上には、享保年間の修復以降に掲げられた「永代祠堂毎月別経」木札が、ずらりと並んでいました。

 享保15年(1730年)9月20日が命日の、「乗久」(中甚兵衛)のものもあります。

 最も古い命日は、明暦2年(1656年)11月24日で、甚兵衛の父「道専」(俗名不詳)です。

 修復時より古い人の施主は、全て、この時の寄進者である「中九兵衛」となっていました。



 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の8月4日の頁は、前日までの連続豪雨とは全く逆の、雨乞いの話題です。『日本書紀』に見える、奈良の飛鳥川での天皇の四方拝を採り上げました。