大和川の付け替え後、運び込まれる土砂の影響もあって、堺の港は改修・移転を繰り返しました。
現在の堺市堺区の戎島町(えびすじまちょう)5・北波止町(きたはとちょう)・大浜北町(おおはまきたまち)3~4に囲まれる「旧堺港」の原型が出来上がるまで、三宝(さんぽう)地区の新田・新地の完成とほぼ同じ、150年を要しました。
上の地図は、大阪市内から向かえば分かりやすいですが、東西南北が逆になっています。
真ん中、カボチャ型の水色が「旧堺港」、その南の緑色が「大浜公園」です。
国道26号線の「大浜北町」交差点から西に入れば、すぐに左手が「大浜公園」、右手が「旧堺港」ですが、その間の自動車道「堺港線」は、「阪神高速湾岸線」の大浜出入口に繋がっています。
公園入口付近の標識には、「津波警報発令時はこの先通行止」とありました。
その北側の歩道から、「旧堺港」の南湾戸と「竪川」の堤防へと向かいます。
近年、高潮対策と水辺区間形成のため、親水性階段式護岸として整備されました。
突き出ているのが「南波止(みなみはと)」。北波止には、「龍女神像(りゅうじょじんぞう)」が建つエキゾチックな風景です。写真右端わずかに、「リーガロイヤルホテル」の建物が見えます。
「竪川」沿いに海の方に進みます。「阪神高速湾岸線」の向うに、は臨海工業地帯の煙突も見えます。
湾岸線に近づくと灯台が見えてきました。
国の指定史跡。建設当初の場所に現存する日本最古の木造様式灯台「旧堺燈台」です。
老朽化に対応して、平成13(2001)年から着手した保存解体修理は、平成19年(2007)年に復元完成、7月3日に公開されました。
高架下辺りからは、灯台の紹介・賛歌・解体時に判明した事柄などを記した、石碑やパネルがいくつも並んでいます。
冒頭の地図も、このパネルの一部です。
現在は写真のように、臨海工業地帯が間近に迫る風景の中にあり、船の航行は5kmも沖合になってしまったことから、誘導する本来の役目は、昭和43年(1968)年に終えています。「旧」が付く所以です。
大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の7月3日の頁でも、「旧堺燈台」の公開の話題を採り上げ、その経緯をもう少し詳しく解説しています。