中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 元禄の最後の年に行われた大和川付け替え工事。

 江戸時代の河川工事に、初めて、大名(だいみょう)が「助役(すけやく)」に任命されました。

 その大名を「御手伝(おてつだい)大名」、その工事を「御手伝普請」と言います。


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 当初の「姫路藩主」(15万石)単独から、「岸和田藩主」「三田藩主」「明石藩主」(合わせて約15万石)の分担に変更された経緯は、6月3日の「測量の日」の項で述べましたが、その普請も順調に捗りました。


 そこで、幕府は、更に工期の短縮を図るため、本工事に伴う色々の付帯工事も一気に取り掛かるべく、6月28日、新たに二人の御手伝大名を任命したのです。


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 一人は、大和国の「高取藩主」の「植村右衛門佐家敬(うえむら・うえもんのすけ・いえゆき)」です。

 「高取城」は、日本三大山城に数えられ、標高584mの高取山に聳(そび)えていました。


 もう一人は、丹波国の「柏原藩主」の「織田山城守信休(おだ・やましろのかみ・のぶやす)」です。

 信休は、織田信長からの系譜で、江戸期に大名として残った2家の1つです。


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 ところで、今の兵庫県にある上の「柏原」は、「かいばら」と読みます。

 同じ字を書く地名でも、大阪府は「かしわら」、滋賀県や長野県では「かしわばら」ですし、大分県では「かしわばる」となります。面白いですね。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』の6月28日の頁は、新たな御手伝大名とそれが行なう御手伝普請の具体的な内容を記すと共に、この日が、「中甚兵衛」から数えて3代目と4代目の「中九兵衛(なか・くへえ)」の命日であることに触れています。