中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 昨日の続きです。

 大阪市の保存樹林に指定されている「阿麻美許曽神社(あまみこそじんじゃ)」の境内を後にして、再び、府道26号線の枝線から「下高野橋(しもこうやばし)」へと向かい、大和川を渡ることにします。


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 堤防の手前に、「七郷橋」という小さな橋があり、下には水路がありました。

 元々の「落堀川(おちぼりがわ)」の流れを踏襲していると考えられます。


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 「下高野橋」です。

 昭和2(1927)年に架橋されたもので、老朽化が進んだため、その東側(上流側)に新しい橋の建設が行われています。


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既に、橋名を刻んだ立派な標柱も出来ていて、9月には新しい「下高野橋」」が誕生しそうです。


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 150mほど上流には「近鉄南大阪線」の鉄橋があります。


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 下高野橋を渡った所で、下流の「行基大橋」を写しました。距離は300mはあると思われます。


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 この右岸堤防上には道路を挟んで、ここから行基大橋まで「大和川東公園」があります。

 東住吉区矢田5丁目の6から5番地にかけてです。


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 この後、北に向かって道はゆっくり下りますが、公園の北側すぐに小さな橋がかかり、水路跡のような窪んだ土の面が見えます。公園は左側です。


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 そう言えば、行基大橋を南に渡る手前に、同じようなものがありました。


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 上とは撮影の向きが逆なので、右側が公園や道路のある右岸堤防になります。


 どうやら、これは幅が極めて広い、スーパー堤防に残された旧来の地面高のようです。

 他では残っている線路は見えませんが、JR西日本の所有地、即ち、「阪和貨物線」の跡地と思われます。


 道路を北に下っていくと、右手に「賽の神(さいのかみ)神社」がありました。


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 「賽の神」は、「道祖神(どうそじん)」や「みちのかみ」とも呼ばれます。

 古い村の入り口付近にあることが多く、邪霊の侵入を防ぐ神、道行く人を災難から守る神です。


 「六地蔵尊」もあって、その姿に心が和みます。


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 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日」の6月25日の頁は、東大阪市稲田本町(いなだほんまち)の「観音禅寺(かんのんぜんじ)」や「稲田桃」のお話で、江戸期に寺を再興・開基した「鈴木正三(すずき・しょうざん)」の忌日として捉えています。