中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪のシンボル、現在の大阪城天守閣は、市民の寄付金で昭和6(1931)年に竣工、平成9(1997)年の平成大改修を経て、今年、平成23(2011)年、復興80周年を迎えています。


 天守閣としては、3代目。1626年から1665年まで存在した、徳川幕府による2代目天守閣の天守台石垣を使用して建っています。


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 そして、初代が御馴染、太閤(たいこう)さんこと「豊臣秀吉」によるもので、大坂本願寺(石山本願寺)の跡地に、1585年から1615年まで存在しました。


 その石垣遺構は、400年近く地下に眠ったままです。


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 昭和34(1959)年・昭和60(1985)年の発掘調査や、昭和35(1960)年に発見された本丸図で、豊臣時代の石垣の存在が明らかとなりました。


 復興80周年を機に、その石垣を公開する地下博物館建設構想が計画されています。


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 小学校から中学2年まで、大阪城のすぐ近くで、「錦城(きんじょう)の甍(いらか)は高く・・」が校歌の「追手門学院(おうてもんがくいん)」に通学していましたので、大阪城への愛着は強いものがあります。


 平成の大改修で、白い壁と緑青の屋根が映える美しい天守閣が見られるようになりましたが、今日の写真はあえて、改修前に撮影したものを使用しています。


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 夜景は、平成7(1995)年9月8日、大阪城公園・太陽の広場で開催された「大阪城・花火と光のフェスティバル」の模様です。世界夜景会議開催と関西国際空港開港1周年を記念してのイベントでした。


 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川』の6月23日の頁では、徳川再築時、新本丸の地面より高く残っていた豊臣天守台の上部の石垣が取り外され、豊臣天守台を地下に葬ったことなどを記しています。