元禄時代まで、築留以北を流れていた古大和川は、1704年の付け替え後、用排水路を残して埋め立てられ、新しい土地(新田)が生まれました。


 古大和川の主流で淀川(今の大川)に流れ込んでいた「久宝寺川」(きゅうほうじがわ)は、200~300m以上もある大河でしたが、ここでも長瀬川を残し、多くの新田が出来ました。


 その内の一つ、現在の八尾市に「安中新田」(やすなかしんでん)がありました。その当初の会所(かいしょ=管理事務所)跡で、安福寺(あんぷくじ)が所有する新田の支配人を務めた植田家の古民家が伝わっていましたが、近年、八尾市に寄贈され、平成21年の5月から一般公開されています。

 それが「安中新田会所跡・旧植田家住宅」(八尾市植松町)です。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記-安中新田会所


 下の写真は、植松町の「渋川神社」の東角から撮影しています。

 右側にしばらく続いているのが旧植田家住宅。左側の手前が安中元地蔵。この先の車は一方通行です。

 

 奥の方で、自動車と自転車が、電車の通過を待っています。

 電車はJR大和路線、左手まもなくの処にJR八尾駅があります。

 JRの向う側に古大和川のほぼ中央部に残された長瀬川が流れています。

 

 この道は古地図に「植松本田道」(うえまつほんでんみち)とあり、古大和川時代に両岸にあった植松村の田地を行き来する野通い道として使われていたことが偲ばれます。


中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記-植松本田道