お父さんが亡くなってみて、
お父さんの存在をそばに常に感じながらも
(どこにも行ってないと感じながらも)、

同時に 
お父さんはどこにいったのだろう?

という想いもわいてくる。



外に目をやると


木の葉をざわめかせる風の中に

キラキラ光る川の水面に

季節が移り、変わりゆく山の色に


そういうもののなかにお父さんがいるのを感じる。


そういうものと一緒に、同じに、ひとつになったんだなあ


風に
空気に
世界に

なったんだなあ


とけ込んでいるんだなあ


今こうして聴いている
雨音の中に
お父さんはいるんだなあ


肉体がなくなるとは、全てと一体になるということなんだなあ。


そして『人間』として生きているとはどういうことなのか

『分離』としかいえない感覚がうまれ

『個』の感覚があらわになる。。。



今までわたしは、近しい肉親が亡くなったことがなかった。

家から葬儀を出すのも20年ぶりのことでした。

『千の風になって』という曲がありますが、
墓とか仏壇のなかにではなく


ほんとうに

ほんとうに
いたるところに

すべての場所に


すべての時間に

 

すべてのなかに

その人はいます。