備忘録的投稿
思いつくままに書いたので
なんでそうなったの?という展開もあるが
そう閃いただけなのでそのままにしとく。


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わたしは今まで
できないこととか手に入らないものがあると

『不幸だ』(『ダメだ』『失敗した』)と思っていたけど

いや
べつに

不幸ではなくない?
ダメではなくない?

『今は』手に入らないけど、『未来』のわたしはきっと手に入れてみせる!キラキラ~☆
みたいな納得を自分させていたけど、それも違う。


手に入らなくても
できなくても

わたしは不幸ではないし

んー

『なんでもない』。

なにかをしたり、何かを手に入れたり達成することを『幸せ』なのだと思っていたが、違う。

→『求めていたものを得ることを満足とか幸福という』のは、違う。

どちらにしろ不幸ではないし
どちらにしろ幸せでもない

幸せって、手に入れるものじゃない。失うものでもない。

いつもそこにあって、そこになくて、
というものが『ある』。

(感じる人の視点で、あったりなかったりする、というもの。
ないという世界観でみればなくなるし、
あるという世界観でみればある。
あると思えば出現し、ないと思えばないということになるもの。)

ということは、

幸せって、いつもそこにあるもの。
(幸せって、いつもそこにないもの)


何かがあるからとか、ないからとかで決めるもんじゃない。


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私の中で起こっていたこと

欲しいモノを得られない・手に入れられないわたしは
『不幸』『ダメ』『不満足』『不足している』

→でも、この状態は私的には『満足』(やっぱりそうだよね、的な安堵が起こる)

★わたしは、不幸で不満足で不足してる自分に、満足してるんだよ!!!

★不幸ということにしときたいんだよ!!自分を!!なんとしてでも!

*****

わたしはわたしを『いつでも不幸』にしときたかった。

(『幸せでないのが当たり前』『不幸自慢』みたいなところ・人の中にいつも居た(始まりは生まれ育った家だとしても)、
類友、引き寄せ、同じ周波数、いろんな言い方あるけど、
『私にふさわしい場所』に常に居たのだ)

そういう世界に自分を住まわせていた
し、それ以外のものがみえなかったけど、

様々な学びや出会いの中で革命が起こり
(親みたいな生き方や考え方がすべてではない、いろんな人がいる、と知れた)

ある日
私は私に『幸せである』ことをゆるし、
『幸せである』と決めた。


そうすると私の世界観はいつからか変調をきたし

今は、私の中で

『いつでも幸せ』

が勢力を拡大しつつある。


『~だったら不幸』
ってのは、自分でつくったルールでしかない。
気づいたら手放そう。やめよう。

~だったら、こう感じよう
と決めているのは自分。


自分で
決められるし
選べる。

わたしが渇望していた自由はもうすでにあった。
自分で決められる。


自分では
決められない
選べない
と決めていただけ。『不自由だ』と決めていただけ。


自分で選んでいる、という感覚がなかった頃は、ただいたずらに辛く苦しく焦燥感に苛まれていた。

自分で選べない=自分以外の他者に力があり自分にはないと思い込んでいる状態
なのだから自分ではどうしようもない、どうすることもできない、
『できない』という理屈になる。
自分の思考や人生を他人に握らせている。
(★それも選んでいるんだけど)


選べる、決められるということは、
どうにでもできるということだ。
変えられるということだ。好きなように。

それが創造力。

創造力を自分に与えているか、
自分以外に渡してしまっているか、の差。

★しかしどちらの状態でも
とにかく全てが自分の『思い』通りになっている。

決めている事が現実として現れる。現れている。


ほんとうに決めるだけなのだ。

これが人に与えられたチカラなのだ。

誰もが持つチカラなのだ。

私が持つチカラなのだ。


宣言せよ

『私にはチカラがある』。


私は創造力そのもの。
 

チ=流れるエネルギー
カ=強く発する
ラ=現れはじめる