半ば諦めと、これ以上関与しないことにし数年間読む専門でしたが、
一連の報道によってエホバの証人の実態が明らかになってきたことへ、私なりにも声をあげようと思い書き始めました。
まず私も実際に2世信者として幼少期から輸血拒否カードを意味もわからずに署名しつつ常時持たされました。
またベルトによる鞭を本当に数えきれないほど打たれた経験を持ちます。
1日数十回打たれた記憶あります。どんなにエホバの証人的に悪い子だったんでしょ笑
色々と書きたいことは沢山ありますが、今回は輸血拒否について書きます。
エホバの証人が輸血を拒否するのは、「医療上の理由というよりは(省略)血を取り入れることを避けるのは,神の命令に従いたいからというだけでなく,命を与えてくださった神に敬意を払いたいからでもあるのです。」としています。
しかし後述を見ますと、あたかもそれが医療上正しいような表現をすることで、信仰に対する一般の人からの理解を求めるのではなく、彼らが崇拝する神様の命令は優れた技術の持ち主で、人間たちの判断が右往左往しようがこれが正しいのだ、それを拒否(輸血する)することは教理違反である、としています。
この信仰内容の是非はともかく、問題視されているのは、上記のような信仰を物事の判断ができない子供へ強要しているということです。
彼らがことあるごとに主張する「信教の自由」を彼ら自身が子供たちへの強要によって脅かしているのではないでしょうか。
正確には、子供は本当に「神への命令に従いたい」と思っているのではなく「神への命令に従うことで親や周辺の人に認めてもらいたい」、つまり条件付きの親からの愛情でもいいので受けたいからではないでしょうか?
この輸血拒否カードは定期的に署名更新をするのですが、
うちは親は母親だけが猛烈な信者だったので、私本人の署名とは別に、いわゆる保護者的な署名欄に確か毎回長老やベテル奉仕者(日本の神奈川県海老名市にある日本支部で生活するいわゆる出家信者)の署名をお願いしてもらってた記憶がいまも鮮明にあります。
そして当時は集会などで「輸血はエホバ(神様)が禁じていること」「輸血をすると排斥になる」「輸血をすると苦しむ」ということを、彼らの出版する聖書やその他の書籍、教理の正しさを立証するかのような研究結果や報道記事の抜粋から説明されていたと思います。
そして今も信者またその子供たちに更新を強要しているそうです。
ちょっと話は逸れます。
強要しておらず本人の意思に基づいて...と彼らは言いますが、彼らが発行する文書や講演などで
「〜したいと思うに違いありません」
「〜するのは理にかなっているのではないでしょうか」
「〜するのは神の目から見て正しいことなのです」
といった表現を幾度となく繰り返し、彼らの教理規則の実践を実質強要しているわけです。
それができないと、場合によっては「牧羊訪問」という名の下の叱責の場が設けられ、最終的には本人の口から「私の信仰が足りませんでした」と言わせる(ここ重要)ようにして従わせるわけですね。
信仰を強くするという表現のもと、日本で劇薬散布による大量殺人を犯した某宗教団体とやっていることは何ら変わらないのです。
話を戻します。
一定の年齢や環境によって常識的な判断ができる人がこれを信じて行動に起こすのは自由ですが、その判断ができない子供に対して一方的な情報のみを刷り込み(外部の情報は嘘偽りと称し見ることすら信仰の欠如として禁じている)、かつ絶対的な信頼を置く親という立場を利用して強要(言い方は酷いですが結果的にはそうなってしまっている)し、従わないと親子であろうと忌避し、その子にとっての一番頼れる周辺社会から抹殺するといった非人道的な宗教や教理に対しては、しっかりなんらかの規制や監視、場合によって保護すべきだと思います。
どんな酷いパパやママだったとしても子供からすれば絶対信じれる正しいパパやママなのです。
そしてそのような環境で育ってしまい、成人した今もなおその影響で苦しんでいる宗教2世、3世が多くいることを多くの人に知ってもらいたいと思います。
次回はエホバの証人が推奨してきた体罰虐待について書きたいと思います。