歴史の舞台 蛤御門(はまぐりごもん)
幕末の壮絶な戦いの舞台となった蛤御門(はまぐりごもん)ですが、今では自転車でのんびり通る人、観光バスもここをスレスレ通っていきます。元治元年(1864年)7月、前年8月18日の政変で京都御所から一掃された長州藩は、尊攘派志士たちが京都で挙兵を計画し勢力を盛り返そうとした矢先、池田屋で新選組に襲撃されたこと(池田屋事件1864年6月5日)も重なって、いよいよ沸点となり、勢力の挽回を狙って京都に兵を進めます。天皇を味方につければ自分たちを正当化出来る、失敗すれば朝敵(日本の悪者)となってしまうというギリギリの思いで京都御所にやってきたわけです。そして御所(天皇)を守る幕府軍(会津藩、薩摩藩、桑名藩)らとこの蛤御門付近で激戦となりました。朝廷に刃を向ける決死の長州藩は一時優勢でしたが、薩摩藩の放った銃弾で長州軍の総監・来島又兵衛が倒れた事で、総崩れとなり敗走するのでした。(来島又兵衛が撃たれたのが、この 椋(ムク)の木の所だと伝わります。)その際に京における自分たちの住みかである長州藩邸などに火を放ち、京都市内は大火事となり焼け野原になったそうです。また徳川幕府は御所に向けて発砲した長州藩を朝敵として、長州征伐へと進んでいきます。(門には無数の弾痕が残っています。なまなましい…)御所の南東、御池通にある京都ホテルオークラには、長州藩邸跡の石碑があります。(何度も仕事でここに来ていたのに、今までは全く意識がなかった…。)