こんな質問をされた。

『ちいさな子供が三輪車に乗って、危険という意味もわからず車道に飛び出した。母親が走ってきてその子供を平手打ちした。それが虐待かどうかと賛否両論になってるんだけど、あなたはどう思う?』

え?わたし?

うんうん。思い返せばウチの息子も三輪車ではなくとも、車道に飛び出しそうになったことがあった。

その三輪車の子供は、言葉の理解すらままならないほど小さかったのだから、平手打ちなんかして虐待するのは間違っている!


間違っている!
間違っている…

ん?間違っているのか?!


母親がなんで平手打ちしたのか。
すべて同じ気持ちとは言い切れないけれど、わたしにはわかるものがある。

後ろから三輪車で車道へ向かっていく我が子を、叫んでも理解のできないほど小さな我が子を(カーッ!!と血ものぼったことであろう)ケガをさせずに済んだこと、死なせずに済んだこと、その時に迷惑を掛けてしまった運転手…
色んな気持ちが溢れて。
愛するがゆえの平手打ちなんじゃないのかな。

(もちろん、理不尽で理性の効かない過度な暴力は問題外)

わたしは答えた。

『いやいや、わたしなら往復ビンタだね』


そして、いちばん反省すべきなのは
“母親である、わたし自身”

往復ビンタの行く末は、身を持って反省を学べた、わたし自身。
わたし(母親)ならきっと、そう思うはずであろう。