-見なくてもよいもの-


私は見なくてもよいものを、見ているのだろうか。


私にはやりたいこと、やらなければならないことがある。

そのひとつの中に

“子どもたちを支えること”がある。

(まぁ、そんな大それたことは出来ないだろうが)


あれはいつだったか、学生の頃に学費を少しでも工面したくて、アルバイトをしていた。

その頃は部活でレギュラーもキープしなければならず(これはアルバイトをする条件のひとつだった)日々クタクタの中、自転車を飛ばして走ったものだ。


夜遅くにアルバイトから帰宅した私は、コーヒー片手にテレビを点けた。


どこの国かは定かではないが、小さな子どもたちのグループが、ボロをまとい裸足で何かを売ったり車の窓拭きをしている番組だった。


      “ストリートチルドレン”


本なんかでは触れたことはあったが、実際に(ブラウン管を通してだけれど)彼らを観たのは初めてだった。


目を奪われてただただ番組に見入っていた。


3才から10代の子どもたち。

ご飯もロクには食べられずにいる子どもたち。


ある時間が来ると裏道に回り込んだ子どもたち。

すると、鉄格子の窓が開きバケットかブールのような大きな硬いパンが外に向かって投げられた。


ワァー!!

っと歓声が上がり小さな子どもたちがパンを拾って走り去った。


あの後ろ姿が忘れられない。


この番組を観た日から、私は心に決めた。


自分よりも厳しい状況下で生きる子どもたち、人びと。


私には屋根もあり壁もあり、温かなシャワーと暖かな布団、いつでも綺麗なお水が飲めて


考えたら切なくなった。


辛いなんて思うな。と、

恥ずかしいぞ。と、思った。


余談だが、日本には7人に1人の

“貧困な子ども”がいる。


そして親無し子たちも沢山いる。


これも、大問題である。


『そーゆーの見ない方がいいよ』と言われる。


なんで?

不幸に思える人からは、何も学ぶことがないと思っているの?

見なかったら、知らなかったら何もないことと同じなんじゃないかな。

誰もいないことと同じなんじゃないかな。


見て、知って、学べ。

人のあり方や尊さを。


あの日、たくましく生きる彼らを見て、私が立ち上がり続けられてきたことのように。