告知の時
夢をみていた懐かしい夢をそれは昔、私が夢に見た光景なぜ、いまここでこんな夢を見たのか?その意味が分かったのはずいぶんと先になる。病院から妹と母が帰ってきた。妹からのLINEで状況はわかっていて「早く来て。」と一言だけメッセージが届いた。私は仕事中にいろいろと調べてこれからやるべきことを考えていたがとにかく必要なのは本人の意思確認が最重要ということ。「私たちはお母さんの思いにそってできることをやっていくから。何を選んでもいい。思うようにするのが一番いい。私ならそうする。」まずはそう話した。私が心掛けたのは「私はこう思う。」とか「私ならこうしたいかな。」っていうことを意識した。こうしなさい。と聞こえないようにしたかったから。告知直後は本人はほとんど考えられない感じだった。それでも告知した以上は今の状態をお互いに認識しあってどうするかを決めていくことが大切だったから手短に話した。診断は肺がんのステージ4 余命3ヶ月治療をする選択と、緩和ケアを受ける選択ができる。しかし、主治医からは「若いから可能性はある。だから治療する価値はあると思います。」といわれて帰ってきた。難しい選択だったに違いない。先の見えない、それも勝ち目がない戦いに挑むような感覚もあった。母は父を肺がんで亡くしていて、終末期を看取ってきた人だから、その苦しみをそばで見ている。だから、怖かったと思う。母が出した答えは「治療する」という決断だった。その後は考える暇を与えないようにした。めいいっぱいのユーモアで。私たち姉妹はこういう時に強い。アホになるとはこういうことだと思う。母 「抗がん剤って、やると髪が抜けるよなぁ。。。」妹 「えっ!めっちゃいいやん!全部生え変わったら綺麗な髪になれるんよな!?普通だったら出来んことよ!」私 「ホンマや!かぁかよかったなー」大爆笑wwwwwwwえっ?何かこんな時にいつも通り過ぎてみんなで大笑いした。そんな時間にこの時は救われた。その後、検査や病院の手配を素早くして、とにかく楽になるようにすぐに緩和ケアを取り入れた。ガンと診断されたら緩和ケアは受けられる。苦しい時に我慢しないといけないことほど苦しいことはない。緩和ケアを受け入れてくれるとこを探して少しでも安楽な状態を作りたかった。主治医の先生に相談しながら数日後には眠れるようになった。寝れるだけでも身体は楽になるし、その間は何も考えなくていいから。そこから、長く果てしない戦いが幕を開けた。次回に続く