鬱病と闘いながらの長飛丸ブログ

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クソ面白くない。ただ、吐き出す為にやってる子ブログです。

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2月6日ブログの日記念スタンプ

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言葉のボキャブラリーが少ない事、それが元で人との交流が少ない事(殆どが、内向的で社交的に出来ない為)人に対する恐怖症がちょっと強い事、唯一頼りであった母が年齢的に頼れなくなったせいとか、焦燥感とイラつきが少し表に出てしまう。
自分のメンタル的なバランスが保てなくてとても、悩んで過ごしてる日常

そんな中で、小説と言うにはおこがましいかもしれませんが、物語を書く事だけは好きで書き続けてます。

何時か、作品を公に出せる様になれたら、作品を公開したいと、願ってるし、夢でもありますよ。

その時は、よろしくお願いしますm(_ _)m

自分は、耳が不自由なので、電話で話す事は出来ないので、その事も含めて宜しくお願いしますm(_ _)m

しかし、自分は、世間を斜めから見てしまう人間で不安な理論家でもあるので、あしからずm(_ _)m

攻め手、自分と猫の1匹位の生活費は、稼ぎが出来ればとも思ってます。
今の私は、コミュニケーション能力が欠けてる。
自他共に認める所だと思う。
言葉は、使い方次第で凶器にもなるが、人を救う事も出来る諸刃の剣。

だから、話す事が怖い。

私なりの思想や考え方は持ってる。
自分と違う考え方の人がいると、何故、どうして、と、深く知りたくなる事がある。
納得いくまで何故、どうして、知ろうとする。

意図せず使ってる言葉が知らずに人を傷つける恐れがある。

私は、人に不快を与えてしまうばかりなのだと思ったら、話すのが怖くなった。

自分では、もう、どうしていいか分からなくなりました。

私は、ジャンルに偏りがあるものの、数が少ないかもしれませんが、漫画と小説、そして、幾つかのゲーム、それから、ちょっとした空想的な妄想の中だけに存在してます。
私は、ネグレストで育ったような感じでした。
なので、夜が大好きで、大嫌いです。
交通量が多く、歩行者が多い繁華街で人の流れや車の流れを見る夜が好き。
自分の部屋でポツンと、時の流れるのを過ごすのが苦痛で嫌いです。

外では、人の流れや車の流れの中で自分が溶け込み流れに混ざってる感じが孤独を癒してくれます。

自分の部屋でポツンといると孤独感に襲われて、とても、哀しく、淋しくなってしまいます。

一つ屋根の下に家族が居ても、同じです。

一晩中、自分に合わせて起きて一緒に過ごして欲しいとは、言えるワケもなく、哀しさと淋しさを募らせて過ごすのが私の毎夜です。

そうした悪循環で普通の人達と逆転した生活になってしまってます。
病院に通院するのは、浅い方ですが、自覚してない頃からしても、ウン十年(ベテラン患者)、というのも変だけど、同じような、そんな人がいたら交流してみたいとも思う事もある。

✱なんちゃって的な人と同じだと思わないで下さい。

蜃気楼のように ゆらゆら揺らめく
ロウソクの炎のように ゆらゆら揺らめく
暑い街で陽炎が ゆらゆら揺らめく

私の心も ゆらゆら揺らめく
でも、身も心も、雁字搦めに、縛られてる

どの揺らめきも、届かない
手に触れる事もできない

何もかもが 一歩も踏み込めず立ち竦む

何もかもが 薄いもやにかかって 振り払っても、振り払っても進めない

気がつけば、中性ヨーロッパの罪人のように 手枷 足枷の重さに動けない

夢では  拷問者によってガラス細工のように儚く粉々に砕かられしまう

全ての希望が放置された風船のようにしぼんでいく

僕は どうして この世にする存在するのだろうか?

僕の未来は 希望?絶望?
そんな事は誰にも分からない

人は、未来は切り開いてくものと言う

挫折や絶望に立たされた僕らに 自立で切り開くには、ボロボロになりすぎて 修復に時間が足りない。

僕らは 明るく 楽しくなんて不器用すぎてできない

キセキが起きるのは その人の運?
神様の気まぐれの祝福?

何故に僕は存在する?
どんな宿命を背負ってるのか

誰かが、努力が必要だと言う

努力だけで成功するのはスポーツ選手や職人 あるいは スキルを多く取る社会人
勉学に励む一流学校に通う学生

学校で学ぶ教科は大人社会では、あまり役に立たない

なんの為に僕らは、必死に学ぶのだろう

僕は、何処に向かって、向かうべきなの?

そして、僕は1人、小さく震えて泣いている

私は、成人君子でもない。
普通以上に悩みを抱えてるし、エゴイストな部分もある。
人よりも心も弱い。
そんな私が、助言、やアドバイスする事は、いけない事なのだろうか?
学生の頃と違って、いろんな社会経験を経た大人の付き合いで、何処まで踏み込んで意見や思いを伝えていいのかに何時も、悩む。
その反面、自分と違う考え方や意見に納得するまで、「何故?どうして?」と聞いてしまう事もある。

中二病とかニートとか言われ罵られても、何も言えませんが、集団生活に適応できない存在の事も分かってあげて欲しいです。

自力で立ち直ったり、はい上がる事も出来なくなってしまった人達の事も分かってあげて欲しいです。

全てにおまいて、恐怖症の塊なのです。

一歩を踏み込んで前に進まないといけない事も分かってるけど、恐怖のあまりに身動きがとれないでいるんです。

心が弱い人は、弱い自分が悪いと言う人もいます。

心が弱い人は、弱肉強食に淘汰されて消えていくしかないのでしょうか。

どうして、そんな状態の人、死ぬ事も許されないのだろうか?

多少の健康な身体のうちに、全ての内蔵や角膜、骨髄を全て、移植して、死なせて下さい。

僅かな謝礼しか貰えないかもしれません。あるいは、謝礼すらも出ないかもしれないが、私の死後、残される母の生活だけでも、不自由なく生活できるようにして欲しいです。

私にできるのは、それくらいしか、存在理由がないとしか、思えない。

深くなれば、なるほど、ネット上だけしか付き合いがない人でも、嫌われるのが怖いです。

私、乳児の頃の病気で薬による副作用が原因の為に耳が少し不自由でしたが、それが発覚したのは中学生の頃でした。

当時も一時期、補聴器をつけて過ごしてた時もありましたが、あまりにも、いろんなことに、神経を使う為、頭痛やダルさ等の症状が出たので、補聴器無しで生活する事にしました。


それからも健常者と同じ生活をしてきたので、耳が不自由な人へのサポートやボランティア等…etc
全く知らないし、手続き等、何をして、何処へ行かないといけないのかも分からないです。

社会人になってから、そういう障害のない人との生活に少しずつ歪みが生じ、それを押してでも、ムリを通して仕事を続けた結果、身体を壊し、鬱病まで発症してしまい。
外界に出る事が怖くなって、引きこもりになってしまいました。

極力、人と会話を避けてれば、多少は、コンビニやレンタルビデオ屋等に出るのが精一杯というのが今の現状です。

学生の頃から健常者と同じ学校を卒業してるので、コミュニケーションの取り方が苦手で多数になると会話の輪に入る事が適わなかったので、そんな状態のまま社会人になると仕事を覚えたりとか、やらないといけない事が多くなったので、オーバーヒートしちゃいました。

ここ最近は、意識してなかったのですが、私が喋ると、声がデカいと度々、指摘される事が増えてきました。

私の障害は、補聴器で補えないと、病院の先生に、言われました。

外に出かけて、聴こえない音が増えてきてるように感じ、怖いです。

たらればと言えばキリがなくなるし普段は、家では何も気にした事はありませんが、母が一緒に外出できる時は、母が私の耳の代わりになってくれてましたが、そんな母も高齢になってきたので、私の耳の代わりになってくれる人がいない限り、鬱、不眠症の為、生活に多少支障が出てきそうです。

街の雑踏の中に出れば、鬱、不眠症がちょっとひどくなってしまいます。

特に、何かしなくても、聴く事に無意識に神経を使ってるのかもしれません。

けっこう切迫した悩みです。

そんな私も、夢があります。
しかし、電話はできません。
コミュニケーションもうまく取れないので、かなり、相当、ヘコむくらい悩みます。

言葉って、顔を合わせても、こうして、活字にしてもトラブる事がある。

コミュニケーションを取るの苦手な私にはかなり深刻な悩みです。

いろんな意味で困った。
辛い。

一番辛いのは、孤独感

これは、物心ついた頃からの私につきまとう苦悩です。

立ち直る事にも疲れ果てました。

前向きに?
それも、脆く崩れました。

今の私に微かな生を与えてくれるのは、猫や自然と少しだけの面白ネタ

Twitterやfacebookの記事に癒されてる

この世に無断な存在かもしれない。